二〇世紀ひみつ基地

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1966「秋田ボウリングセンター」オープン

 ▼楢山に秋田県内初のボウリング場誕生

空前のボウリングブームとなった1960年代後半から70年代前半にかけて、最盛期は秋田市内だけで最大9センターものボウリング場が乱立した。

秋田におけるボウリングブームの先陣を切ったのが、秋田市楢山中町(現・南通築地)に誕生した「秋田ボウリングセンター」。

 楢山裏町の旧家・江畑家の日本庭園跡に、昭和41年(1966)10月「秋田ボウリングセンター」オープン。

秋田ボウリングセンター
昭和41年(1966)8月 新聞広告

商品先物取引の「岡地株式会社」(本店・名古屋)社長・岡地中道が、株式会社「秋田ボウリングセンター」社長に就任、地主の江畑家も取締役として名を連ねた。

当時「岡地株式会社」はレジャー産業に進出、名古屋に「中京ボウリングセンター」を経営、昭和50年(1975)には「鹿沼国際カントリークラブ」(現・南摩城カントリークラブ)をオープンさせる。

関連リンク
岡地株式会社|商品先物取引のリーディング・カンパニー

上掲画像左側の求人広告の、面接場所に指定されている「ならやま荘」は、江畑家が屋敷を利用して一時期営んでいた貸席の名称。

秋田市土手長町に擬洋風建築の秋田県庁舎(明治13年開庁)を建てたことで知られる建築官・戸崎清蔵(久保田藩士1826-1901)が、明治26年に手がけた、釘を使わない総秋田杉の名建築を利用して営業した「ならやま荘」。今はどれほど原形をとどめているか定かではないが建物は現存し、記事作成時点、Googleマップにもその名がみえる。(下記マップ参照)

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02Bowling
昭和41年(1966)10月 新聞広告

秋田ボウリングセンター
秋田ボウリングセンター

・鉄筋二階建て
・延べ面積3.340平方メートル
・駐車場約1.000平方メートル
・総工費3億円

 ・料金
 AM9:00~PM6:00 200円(学生150円)
 PM6:00~PM9:00 250円

・ピンセッター
 二階 AMF(エーエムエフ)82-70型 20レーン
 一階 Brunswick(ブランズウィック)A-2型 12レーン

・バッテングマシーン 3打席

・ビリヤード
 4つ玉8台
 ポケット(ローテーション)2台

一階にレストラン「クレール」

秋田ボウリングセンター
秋田ボウリングセンター

当初、ボウリング場は不健全な遊技場として、中学生は父兄同伴でも入場を禁じられていた。

しかし、禁じられれば、なおさら入ってみたくなるのが心情。放課後に連れだって、高校生や大人のプレイを眺めるのが常だった。

人気の無い場内のかたすみに瓶入りコカコーラの自販機があって、先輩からタダで出す方法を伝授されたこともある。

 

 ▼市民市場二階に「秋田ファミリーセンター」オープン

 秋田ファミリーセンター
昭和42年(1967)10月 新聞広告

 「秋田ボウリングセンター」開場の翌年、同社は「秋田市民市場」二階に「秋田ファミリーセンター」をオープン。

深夜24:00までの営業が売り物で、三階に土崎の料亭「池鯉亭」経営のレストラン「ニューカープ」を併設した。

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昭和42年(1967)10月 新聞広告

秋田ボウリングセンター
昭和43年(1968)2月 新聞広告

09Bowling
昭和44年(1969)2月 新聞広告

 規模の大きなセンターでは連日大会が開催され、賞品のトロフィーや楯に名前を彫って納める、貴金属店や印章店もブームの恩恵を受けた。

昭和44年(1969)「秋田ボウリングセンター」の東隣に、江畑家経営の「北日本コンピュータサービス」創業。

関連リンク
 北日本コンピューターサービス株式会社

 ▼新会社「秋田ロイヤル・レーン」発足

昭和44年(1969)株式会社「秋田ボウリングセンター」を、株式会社「第一ホテル」(本社・東京)が買収。

「秋田ボウリングセンター」「秋田ファミリーセンター」両施設を「第一ホテル」から賃借経営する新会社「秋田ロイヤル・レーン」発足、昭和45年(1970)1月から新体制で営業を始める。

秋田ボウリングセンター
昭和45年(1970)1月 新聞広告

川口大助(秋田市長)辻兵吉(商工会議所副会頭→会頭)大内正見(金萬)中塚富之助(魁新報社文化部長→秋田放送常務取締役)等々、そうそうたるメンバーが並ぶ経営陣は、「秋田第一ホテル」(現・秋田キャッスルホテル)が入居した「秋田ビル」の発起人と一部重複する。

「秋田第一ホテル」および、商業施設「秋田プラザ」が入居する「秋田ビル」内に 「秋田ロイヤル・レーン」がボウリング場を造る計画もあったが実現には到らなかった。

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秋田ボウリングセンター
昭和45年(1970)3月 新聞広告

中山律子
昭和47年(1972)1月 新聞広告

ブームの最盛期に当たる昭和47年(1972)1月、プロボウリング界の女王・中山律子来秋。

昼は男鹿市船川港の「男鹿シーサイドボウル」で、夜は「秋田ボウリングセンター」で、指導およびチャレンジマッチをこなす強行スケジュール。

各テレビ局がボウリング番組を放映するなか、美貌と実力を兼ね備えた中山律子は、一躍国民的人気者となり、ボウリング人口の向上に大きな役割を果たす。

本人が出演したシャンプーのCMの「律子さん、律子さん、さわやか律子さん」というCMソングも印象的であった。

 

 

関連リンク
中山律子 - Wikipedia

 

▼「秋田ボウリングセンター」跡地に「ト一屋サニーガーデン」オープン

昭和48年(1973)のオイルショック以降、ボウリングブームは一気に沈静化。嵐のようなブームが去ったあと、市内に最大9センターあったボウリング場は駅前の「金萬ボウル」のみとなり、県内の各センターは公民館、美術館、スーパーストアなどに転身していく。

昭和51年(1976)4月、「秋田ボウリングセンター」を改装して、スーパーストア「ト一屋サニーガーデン」オープン。

ト一屋サニーガーデン
昭和51年(1976)4月 新聞広告

ト一屋11番目の新しい店の誕生です。レンガ色の屋根にはしゃれた時計台。広く明るいフロアは新鮮な商品でいっぱい

★しゃれたお店も同時オープン★

●ウインドベーカリー ぷーどる
目の前で焼きあがるこうばしい香り。オーブンフレッシュの焼きたてパンで、手作りの味をお楽しみください。

●アイスクリームショップ イレブン
コーヒー、生ジュース、ハンバーガー、ホットドック、サンドウィッチの軽食コーナー。手軽に楽しめるしゃれた味。

●ファーストフードショップ スノーピア
味いろいろ、好みさまざま。16種のファッショナブルなアイスクリームが、その日の気分にぴったりフィット!

創業15周年を迎えた「秋田ト一屋」が満を持してオープンした新店舗。

二階に貸ホール、催事場、料理教室を設置。夜9時までの10時間営業、直営のファーストフードやウインドーベーカリーを併設した新店舗は、当時の地元スーパーとしては画期的なものであった。

市内に11店舗、その後は男鹿、五城目と店舗を拡大していった「ト一屋」も破産し、現在はディスカウントショップの「ドジャース商事」が経営を引き継ぐ。

ト一屋・楢山店
2012.05 ト一屋・楢山店(旧・ト一屋サニーガーデン)


大きな地図で見る
ト一屋楢山店・旧秋田ボウリングセンター

江畑家・赤門
2013.05 江畑家(ならやま荘)赤門

「ト一屋」の裏通り。江畑家の向こう(西隣)が「ト一屋」。

ト一屋・楢山店
2010.06 ト一屋・楢山店(旧・秋田ボウリングセンター)

ボウリング場時代のカマボコ屋根建築がそのままの姿で残る「ト一屋」側面。

今は駐車場になっている手前の角地にも、つい最近まで、黒板塀で囲まれた江畑家の屋敷があった。その南側角地(現・ト一屋駐車場)は「秋田相互銀行楢山支店」跡地。

黒板塀
2010.05 江畑家の黒板塀(消失物件)

秋田ボウリングセンター
2009.11 広告入り街区表示板 楢山登町(消失物件)

設置から50年弱の年月を経て、ヴィンテージ・ジーンズのように寂びた味わいのある街区表示板。

一般の広告看板ならば、広告主が廃業した時点で撤去されるのが普通だが、街区表示板広告の場合は長くその名が残る。ただし、当物件を掲示していた建物は数年前に解体、街区表示板とともに消失した。

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