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CGで蘇る秋田近代建築・壮麗なる文化の殿堂

秋田市内で建築パース製作会社を経営している岡本有司さんが、失われた秋田の近代建築をCGで再現、このほど開設したHP「秋田の近代建築を描く」で作品を公開している。

建築パース製作のツカサスタジオ秋田
秋田の近代建築を描く

現在公開中のCG作品は、千秋公園の入口に位置する下中城の高台に存在した「秋田県記念館」および「秋田県公会堂」。

なかでも「県記念館」と「県公会堂」が並び建つ壮麗なる景観を描いた作品が素晴らしい。是非HPで大きめの画像をご覧頂きたい。



右手奥に明治37年竣工の「県公会堂」、手前に「県公会堂」の補助施設として計画され、大正7年に竣工した「県記念館」。

「県記念館」建設中の大正7年4月29日朝、ペンキ塗り替え作業中の「県公会堂」から突然火の手が上がり、またたく間に灰燼に帰す。当初の計画はあえなく崩壊した。

「県公会堂」焼失により両会館が並び建つことが叶わなかっただけに、CGで再現された夢幻景観は実に感慨深く、中土橋に現代の風物であるババヘラアイスと人物を配置することで、過去と現在をクロスオーバーさせる演出も心憎い。

二棟の近代建築が今に残っていたら、千秋公園入口一帯は、緑と水に囲まれた、全国的にも稀少な近代文化遺産保存ゾーンとして異彩を放ち、観光の目玉となっていたことだろう。




▼下中城の高台の歴史をふり返る

藩政時代、下中城の高台は久保田藩家老・渋江内膳の大きな屋敷であった。明治維新後、その建物に藩政庁(県庁)が短期間開設される。以後、西洋医療施設の官立病院、小学校教員を養成した伝習学校(秋田大学・教育文化学部の前身)などを経て、北側に「県公会堂」、次いで南側に「県記念館」が竣工する。

大正7年、「県公会堂」焼失。その跡地に花園(庭園)を開設。
昭和7年、花園内に日本放送協会(NHK)がラジオ塔を設置。
昭和25年、花園跡地に初代「県児童会館」オープン。同時に「県記念館」南側に児童遊園地を開設。
昭和35年、老朽化を理由に「県記念館」解体。
昭和36年、「県児童会館」が中通地区に移転した跡地に「秋田県民会館」竣工。同時に「県記念館」跡地西側に「秋田県立図書館」(現・生涯学習センター分館「ジョイナス」)がオープン。

以下に過去記事から「県公会堂」および「県記念館」の画像を再掲する。


秋田県公会堂


秋田県公会堂


秋田県記念館


秋田県記念館

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関連リンク

建築パース製作のツカサスタジオ秋田
秋田の近代建築を描く

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| 秋田市今昔 | 08:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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