二〇世紀ひみつ基地

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八幡神社から「エリアなかいち」まで・広小路公園前角地の百余年

▼佐竹氏の氏神を八幡山から広小路に遷す


大正初期「弥高神社」(旧・八幡神社)

社殿の右手(北側)に広小路が東西に延び、鳥居は東を向く。堰が流れる道端(右下)に明治末期に設置された水道共用栓。現在の住所でいえば秋田市中通1丁目4番地、旧・東根小屋町と広小路が交わる丁字路に存在した「弥高(いやたか)神社」である。

少し複雑な当神社の歴史をさかのぼると・・・。

藩政時代は家老クラスの重臣が居住した中通地区、佐竹氏家老・石塚氏邸跡に、明治5年、旧城地・八幡山(現・明徳小学校の地)から、佐竹氏の守護神「大八幡宮」および「正八幡宮」(小八幡宮とも記述される)を遷(うつ)して合祀、名称を「八幡神社」とする。



「秋田城郭市内全図」明治元年現在

ピンクでマーキングした部分が石塚氏の屋敷。その南側一帯に藩校「明徳館」。通りを隔てたその東側に日本画家・寺崎広業の実家がある。点線で囲まれた区画に記された「師範学校」「裁判所」などは明治元年以降に創設された施設。

明治11年、「八幡神社」に隣接して、初代藩主・佐竹義宣を祀(まつ)る「秋田神社」を創建。同32年、「秋田神社」を旧城地(千秋公園)本丸に遷す。旧藩士たちにとって、城址・千秋公園への移転はかねてよりの念願であった。

明治40年、「八幡神社」を千秋公園本丸に遷し「秋田神社」と合祀、「八幡秋田神社」と改称、かつては武士の町・内町の総鎮守となる。

▼「八幡神社」跡に「弥高神社」創建


明治42年 千秋公園中土橋より広小路「弥高神社」(旧・八幡神社)を望む

上記画像についての詳細は下記リンク先を参照のこと。
二〇世紀ひみつ基地 国民新聞遊覧団来秋す・明治四十二年

明治42年、もぬけの殻となった旧「八幡神社」社殿に、八橋の日吉(ひえ)八幡神社境内から、国学者・平田篤胤を祀(まつ)る「平田神社」を遷し、思想家・佐藤信淵を合祀して「弥高神社」を創建。大正5年、千秋公園の現在地に遷す。

▼「弥高神社」跡に「秋田県立図書館」新館落成

千秋公園二の丸に移転した「弥高神社」の跡地に、大正7年、「秋田県立図書館」新館、正式名称「大正天皇御即位記念図書館」開館。


千秋公園より「秋田県立図書館」を望む


秋田県立図書館

入口は東向き、下部中央に水道共用栓。

昭和36年(1961)、下中城町に「秋田県立図書館」新館落成、東根小屋町から移転開館。「秋田県民会館」に隣接した先代の「秋田県立図書館」は現在、生涯学習センター分館「ジョイナス」となっている。

▼図書館跡地に「日本生命ビル」「セントラルデパート」そして「エリアなかいち」

景気が右肩上がりをつづけていた昭和42年(1967)、広小路の「秋田県立図書館」跡地東側に「日本生命秋田ビル」竣工。テナントとして一・二階に「カワイ楽器」が入居。続いてその西側に「セントラルデパート」オープン。


1973.06 県民会館の土手より広小路を望む

左から「日本生命秋田ビル・カワイ楽器」「セントラルデパート」「古沢ビル・長崎屋」「モリタカバン」「イワマ靴店」。


2006.11「日本生命秋田ビル・カワイ楽器」(移転後)

秋田駅前の「全音」とともに、楽器・楽譜販売のほかレコードショップとしてにぎわった「カワイ楽器」は、再開発を前にして中央通りに移転。


2009.06 日本生命秋田ビル・セントラルデパート跡駐車場・古沢ビル

平成22年(2010)秋田市中通一丁目地区(日赤・婦人会館跡地)市街地再開発事業のため「日本生命秋田ビル」解体。平成24年(2012)4月のオープンをめどに「エリアなかいち」の建設がはじまるが、東日本大震災の影響による資材不足で工事が遅れ、オープンは7月まで延期された。


2012.06 日本生命秋田ビル跡「秋田市にぎわい交流館」右手に「新県立美術館」

「日本生命秋田ビル」跡地に姿を現した「秋田市にぎわい交流館AU(あう)」。


2012.06


2012.06


2012.05 千秋公園中土橋より「エリアなかいち」を望む

最後にもういちど、広小路・千秋公園前丁字路角地の百余年をふり返る。


明治42年 千秋公園中土橋より広小路「弥高神社」(旧・八幡神社)を望む


千秋公園より「秋田県立図書館」を望む


2009.06 日本生命秋田ビル・セントラルデパート跡駐車場・古沢ビル


2012.06 「秋田市にぎわい交流館AU(あう)」


大きな地図で見る
八幡神社→弥高神社→県立図書館→日本生命ビル→秋田市にぎわい交流館AU

▼附録「明治天皇聖蹟」由来

明治14年9月、明治天皇御巡幸の際、「八幡神社」が御小休所に指定され、旗指物を背負った騎馬五十騎によるパフォーマンスおよび、騎馬二十騎が源氏・平家に別れて対決する打毬(うちまり)を天覧に供す。

平安時代から伝わる「打毬」は現代のポロに似た競技。江戸時代は武士の鍛錬を兼ねた遊戯となり、現在も宮内庁のほか数ヶ所に伝承されている。下記リンク先の動画は青森の八戸三社大祭で毎年開催される加賀美流騎馬打毬。

八戸三社大祭・加賀美流騎馬打毬 - YouTube


2010.09 旧「秋田婦人会館」前庭

昭和5年、明治天皇御巡幸50年を記念して、旧「八幡神社」南側に「明治天皇聖蹟」碑を建立。題字の揮毫は赤星藍城と推定されている。明治14年の御巡幸のとき御小休所となった「八幡神社」は千秋公園に移転し、その跡地は「秋田県立図書館」になっていた。戦後「明治天皇聖蹟」碑の西側に「秋田婦人会館」(児童会館および福祉会館を併設)が建つ。


2012.06「秋田市にぎわい交流館AU(あう)」東側

再開発工事も完了して、以前より少し南側に再建された「明治天皇聖蹟」碑は、きれいに洗浄され、地区内に存在した「久保田藩學明徳館址」碑と肩をならべて建っている。

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関連リンク

秋田市−都市整備部まちづくり整備室−秋田市にぎわい交流館
秋田県立美術館 - 平成25年秋 本オープン予定
秋田市 エリアなかいち

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