二〇世紀ひみつ基地

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大町二丁目通り変遷

大町二丁目通りとは、秋田ニューシティーから日銀の間を言う。
現在の大町地区はかなり広範囲だが、旧町名の時代は、旧魁新報社の大町一丁目から、赤れんが館の三丁目までの通りだけを指し、三丁目以南は本町四丁目、五丁目、六丁目と続いていた。それぞれの通りに特徴のある名称がつけられていた旧町名では、たとえば上肴町といえばあの通りだとすぐ解るが、新町名で大町○丁目○番○号などと言われてさっぱり解らない。

外町では最も早く町割された大町三町は、茶町と並ぶ久保田の商家町のメインストリート。土崎湊からの移住者で形成され、木綿、絹布、麻糸、古着、小間物などの専売を許され、これらを「大町物」と呼んだ。

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大町二丁目雪景・大正期

左手に本間商店(本金)、右手には辻兵呉服店という老舗が並ぶ大町二丁目通り。本間商店の店頭には「○に本」の家印が見える。昭和三年、この建物を取り壊し鉄筋三階建てのビルに改築している。

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手前の白い建物が魁新報社、その奥に鉄筋三階建ての本間商店
通町橋近くの火の見櫓から撮影 昭和初期

本間商店は嘉永三年(1626)上通町に本間屋の屋号で創業した小間物屋、のちに教科書の出版なども手がける。大町二丁目には、慶応二年(1866)に移転。当主は代々、本間金之助を襲名。明治二十八年、二代目金之助は福田学校という私設学校を創設、学校に行けない貧しい家庭の子どもたちに読み書きとソロバンを教えた。この学校は昭和二年まで続けられている。

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辻兵呉服店

土蔵造りの平入り店舗。入口には暖簾が風に揺れ、大八車のような配達車が止められている。
明治期、この建物の左(南)隣には風間呉服店があったが、 大正五年、その建物に三田火薬銃砲店(現・三田商店)が入居。

三田商店会社沿革
http://www.mita-gnet.co.jp/enkaku/enkaku_taisyo.html#taisyo_02
大正期「三田火薬銃砲店」の写真あり

初代の辻兵吉は嘉永(1848~)の始めころ加賀の国から久保田城下に入り土着。豪商・高堂屋の奉公人を務めた後、安政三年(1856)に独立し、呉服兼質屋を創業、明治三十八年の火災以後に呉服専門店になった。当主は代々、辻兵吉を襲名。

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大町二丁目・昭和三十年代

昭和三十四年(1959)、本間商店は本金デパートとして発足、辻兵も同じ年に、総合衣料店として三階建ての店舗になった。

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大町二丁目・現在

昭和五十六年(1981)、三田商店と辻兵が並んでいた場所には秋田ニューシティー(辻兵)がオープン。本金デパートと名店街も再開発のため取り壊され、昭和六十二年(1987)、跡地に秋田大町第一生命ビルディングが完成、ワシントンホテルとA・Dが入居。

本金デパートは西武百貨店グループと共同で本金西武を設立し駅前に新築移転したが、平成十六年四月、西武百貨店がすべての株式を取得、十七年三月一日付で吸収合併し直営店となるため、江戸期から続き県民に親しまれた老舗「本金」の名はもうすぐ消えてしまう。

| 秋田市今昔 | 23:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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| - | 2013/05/31 00:33 | |















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