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歯医者さんの石敢當・中央通りで新発見

街角の文化財・魔除けの「石敢當」その九


2011.05

当ブログの読者から教えて頂いた、中央通りの丁字路で発見された石敢當(いしがんとう)。今年の3月11日、大震災当日の朝、除雪中に見つけ、ネットで調べているうちに当ブログにたどり着いたらしい。


2011.05

秋田市中央通りの「山内矯正歯科」前、東隣の旧「吹浦帽子店」との境界に設けられた、コンクリート塀の前面に「敢当石」と推察する文字の半分を隠して、コンクリートに同化するように埋め込まれている。

当物件についてはまったくの初耳で、今まで出版された関連資料にも載っていない。


大きな地図で見る

山内歯科は明治時代から続く歴史ある医院。しかし、この物件は御影石製なので、それほど古いものではない。そしてこの地が丁字路になったのも比較的最近のこと。


昭和24年発行「秋田市街図」より

中央通りは狭い小路で、もちろん仲小路通りもまだ存在しない、戦後間もない時代の周辺地図。高度経済成長期に新設および拡幅された道路のおおよそをピンク色でマーキングした。

広小路と中央通りにはさまれた区画は、秋田県庁舎と議事堂など関連機関が占め、中央通り側の一画に秋田警察署が建っていた。


大町から旧秋田県庁舎および議事堂を望む

昭和32年(1957)、県庁舎の三分の二を焼失。
昭和35年(1960)、旧県庁跡地の一角に「秋田産業会館」竣工。
昭和38年(1963)、秋田警察署、現在地に新築。中央通りの拡幅工事始まる。

山内歯科の向い側に小路が開通した昭和30年代後半の頃、新たに丁字路の突き当たりとなった歯科医院前に石敢當が建立され、その後、現在のビルに建て替えたとき、コンクリート塀に埋め込まれたものだろうか。そのビル工事の整地中、石柱の下部を破損したため、このような不自然な形になった可能性もある。

いずれにしろ、道の突き当たりに位置する家を災厄から守ると信じられた石敢當が、未曾有の大震災が東日本を襲う数時間前に日の目を見たことに、深い因縁を感じずにはいられない。


◆付録・旧「土手長町上丁」界隈

昭和初期の地図によれば、「山内歯科」の西隣が洋風建築「八柳写真館」、今の北都銀行本店営業部の場所に「秋田県物産館」とモダンな建物がならび、さらに土手長町通りを隔てた旭川の川岸に、連鎖商店街である「勧工場」(かんこうば)が昭和20年頃まであった。

中央通りの突き当たり、丁字路部分に位置した、その勧工場の商店前に「石将軍」と刻まれた石敢當が存在していたことが記録されている。




県物産館(手前が秋田警察署)昭和初期


土手長町通り・勧工場 昭和初期

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関連リンク

山内矯正歯科 石敢当

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