二〇世紀ひみつ基地

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大震災を黙示するかの如く・秋大モニュメント

阿部米蔵によるパブリックアート・その8


阿部米蔵「雨露と土」昭和46年(1971)タイル壁画・秋大教育文化学部

秋田大学教育文化学部3号館の新築に際して、附属する60周年記念ホールに、当時美術科の教授であった阿部米蔵がデザインした壁画が設置された。

壁画に描かれたものは波濤と廃墟、日輪(太陽)さえも寿命を迎えたかのように侵蝕されている。諸行の無情を感じさせるその壁画は、未来を担う若者を教育する場にはふさわしくはない“ただならぬ暗さ”をただよわせている。









その壁画が完成して40年後に東日本を襲った未曾有の大震災。大津波に破壊された三陸の光景と壁画の光景がダブって見える。

壁画に描かれた“波濤”は大津波、“廃墟”は鉄骨だけ残った三階建てのビル、そして“侵蝕された太陽”は爆発して煙を上げる原発を象徴しているかのようだ。

秋大の記念ホールに黙示的・予言的なモニュメントを残した阿部氏は、2011年5月3日、大震災を見届けるように逝去された。


南三陸町防災対策庁舎
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鉄骨だけ残った防災庁舎をモニュメントに 南三陸町長が意向

 宮城県南三陸町の佐藤仁町長は11日、津波で3階建ての鉄骨だけが残った町の防災対策庁舎について「個人的な思いだが、この災害を二度と忘れないためのモニュメントとして残すことができれば」との意向を示した。共同通信の取材に答えた。

 庁舎は阪神大震災を受け、震度7の地震にも耐える防災の拠点として建てられたが、屋上を越える津波が押し寄せた。

 佐藤町長は「賛否両論がある」と断った上で「最後まで町民の命を守るために働いた多くの職員が亡くなったり、行方不明になったりした。献花台や慰霊碑を設け、町の将来を担う人への教訓にしたい」と述べた。
2011.4.11『MSN産経ニュース』より


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【東日本大震災パノラマ Vol.45】命の限り叫び続けた防災放送の女性職員 南三陸町 - MSN産経フォト

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はじめまして

はじめまして、秋田大学は近所なのでよく小さい頃にこの壁でサッカーして遊んでました。懐かしいです。

| 山田ベック | 2011/05/16 19:59 | URL |















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