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聴け!“超エレクトロラ”奏でる電気の音楽を!!


●秋田市に“超拡声電気蓄音機”現る!!


久保田城の時代には能楽や町踊りが上覧されたという千秋公園二の丸広場。明治以降は運動場となり、花見時には舞台が設置され、最近は JAZZ フェスの会場となったその歴史的イベント広場に、昭和四年(1929)六月、巨大な電気蓄音機が運びこまれ、秋田魁新報社主催で一夜限りの “大音量レコードコンサート”が開催された。




市民慰安(本社主催)レコードコンサート
いよいよ今晩六時半から公園二の丸で

本社主催市民慰安のレコードコンサートはいよいよ今十四日午後六時半から新緑濃き千秋公園において開催されるのであるが、これに用いる蓄音機は超拡声電気蓄音機にて音響三里四方におよぶ、しかもその高さ一丈余重さ二トンの蓄音機といえばこれに用うるレコードの直径が一間もあり、レコードをまわる針が電柱の太さでもあるかのごとく一般に思われているが事実レコードも針も一般家庭において使用されている蓄音機と同様のものであって只それに電気装置の超拡声器があるため真空管を通じて音響三里にも及ぶものであるが、東京日比谷はじめ各市立公園においてこれがレコードコンサートを催した際はいづれも押すな押すなの大盛況で郡部からも夥しい人出でその帰りのため終列車が急に客車を増結するという盛況ぶりを示しているが、当市においても邦楽、洋楽とりまぜ一般の耳におなじみのもの、若しくは新しいレコードを取り入れ三十六回もあるので、夏の夕の散歩ながらに新緑したたる千秋公園に集まる聴衆は数万を数えるであろう
昭和四年六月『秋田魁新報』より



市民満足
レコードコンサート賑わう


市民慰安の本社主催レコードコンサートは十四日午後七時から千秋公園二の丸に開催されたが定刻前より公園をさして押し寄せた聴衆ひきも切らず定刻すでに二の丸は立錐の余地のなき盛況裡に超拡声電気蓄音機は文字通り三里四方にも及ぶ(もっとも風の加減で聞こえぬ方面もあったに相違ないが金照寺山で聞きとった人さえもある)大音響を発し邦楽、洋楽とりまぜ四十枚近いレコードをかけ聴衆をやんやといわせたこと勿論!八時九時となるに及んで聴衆は二の丸から溢れ土手に駆けあがり木によぢ登るなどあり充分に市民の満足を買って十時頃散会した(写真は人で埋まった千秋公園二の丸)
昭和四年六月『秋田魁新報』より
冒頭の写真では、「超拡声電気蓄音機」の前に市販の大型蓄音機を置いて、その大きさを比較。重量2トン、高さ一丈(約3m)の巨大電気蓄音機の音響は三里(11.78 km)四方におよぶという。

「文字通り三里(11.78 km)四方にも及ぶ」としながら、二の丸から約2.3 km の距離にある「金照寺山で聞きとった人さえもある」というのは矛盾するが、金照寺山では音声を聞き分けることができ、三里四方は誇大表現だが、それほど遠くまで、わずかな音が届いということなのだろう。

自動車などの騒音がほぼ皆無な環境で、市の中心部でさえ夜になると潮騒の音が聞こえた時代の可聴範囲は、現代と比較してかなり広かったものと想像される。それにしても夜十時までの爆音レコードコンサート、今だったら苦情を考慮してとうてい実現できない。


●超エレクトロラはどこから来たのか?

レコードコンサートをさかのぼる六月初旬の『秋田魁新報』によれば、この「超拡声電気蓄音機」は「超エレクトロラ」と称する世界に三台しかないもので、五月一日より日比谷公園における東京市役所主催のレコードコンサートをはじめとして、全国各地を巡回中とのこと。

エレクトロラ(正確にはエレクトローラ)は米ビクター社製の電気蓄音機の名称。東京市内の日本ビクター契約販売店が当時『朝日新聞』に出した広告に「謹告 昨年夏皆様に御目見得し其甚大なる力に対し御好評を博しました日本ビクターの超エロクトロラが又参りました。東京市主催で五月一日から左の日割りにより市民緒彦の慰安レコード演奏会が催されます。入場無料」とあり、五月一日の日比谷新音楽堂を皮切りに、上野公園動物園、本所錦糸公園と場所を移しながら、九日間連続の野外慰安レコード演奏会が東京市主催で開催されることが予告されている。

「昨年夏皆様に御目見得し・・・」とあるように、超エレクトロラが日本初公開されたのが、前年の昭和三年七月三十日に開かれた東京市主催の「納涼音楽の夕べ」だったようで、そのときの広告文に「ビクター会が超エレクトロラと同社のオルソフォニック・レコードを使用、実演、肉声、其儘をお聴かせ致します。」とある。

以上のレコードコンサートに使われた「超エレクトロラ」についての情報は極めて少ないが victor-victrola.com のサイトにこんな画像があった。



引用元はこちら
The Victor-Victrola Page

説明によると、1926年(大正十五年)、ビクター・トーキングマシン社が電気蓄音機の販売促進を目的に、カナダ・トロントに設置した巨大ホーンだという。

昭和二年(1927)ビクター・トーキングマシン社が100%出資して「日本ビクター蓄音機株式会社」を設立。千秋公園二の丸に持ち込まれた「スーパー(超)エレクトロラ」は、日本ビクターが電気蓄音機とビクターレコードの普及宣伝を兼ねて、地方自治体や新聞社に貸し出したものであった。

誕生して間もない電気蓄音機をはじめて聴く市民にとって、電気の力で音楽を奏でる大音量の超エレクトロラは物珍しい超ハイテク装置。物見高い市民らはそのうわさを聞きつけ、またその大音量に誘われて千秋公園へと集まり、二の丸広場と周囲の土手を埋めつくした。


●[付録]蓄音機の時代

1877年(明治十年)、トーマス・エジソンが円筒の錫(すず)箔に録音する円筒式蓄音機を発明。フォノグラフ(邦訳・蓄音機)と命名されたそれは一台で録音と再生ができる画期的な器械であった。

1885年(明治十八年)、グラハム・ベル社が錫箔のかわりに蝋(ろう)を塗った蝋管式蓄音機・グラフォフォンを開発。

FONOGRAFO THOMAS EDISON (1898)


the Edison Concert Phonograph 1899

米国でのエジソン式円筒型蓄音機コンサートのポスター。電気を使わないアコースティック蓄音機は結構大きな音を出す。その音をさらに増幅させるために特大のラッパが取り付けられ、聴衆は耳を澄まし息を呑んで聞き入った。


大道の蓄音器屋台 明治三十九年(1906)

境内で蝋管式蓄音機を聴かせる蓄音器屋。拡声ラッパは人寄せのために少しだけ鳴らしたもので、客は二銭ほどの料金を払い、蓄音機のサウンドボックスから導かれた聴診器のようなゴム管のイヤホンを両耳に入れ、主に浪曲を楽しんだ。まだラジオもなく、劇場に足を運ばなければ浪曲を聴くことができなかった時代のハイカラな商売である。

1887年(明治二十年)、エジソンのライバルであった発明家エミール・ベルリナーが、平円盤式レコードとそれを再生する蓄音機・グラモフォンを製作。円筒式レコードに比べ収納しやすく、安価に原盤からの大量プレスが可能となった。この円盤式レコードが現在のCDの原型。

1895年(明治二十八年)、ベルリナーは円盤式レコード及び再生装置の製造・販売をするためにベルリナー・グラモフォン社を設立。


ビクター・トーキングマシーン社の初期蓄音機で聴く、ベルリナー・グラモフォン社製レコード。

ベルリナー・グラモフォン社を母体として、英国グラモフォン(現・EMI、HMV)と米国ビクター・トーキングマシン社が誕生。1910年(明治四十三年)頃までには円筒式に替わって円盤式レコードが市場を制す。


蓄音機広告
右・明治三十八年 左上・明治四十年(部分)左下・大正十年

「三光堂」は東京浅草に明治三十二年開業の日本初の蓄音機専門店。


Victor Studio 1921

当初のレコードの録音は、ご覧のようなラッパ状の集音器を使用していた。集音器の奥に取り付けられた振動板がレコード原盤に直接カッティングする方式。

1924年(大正十三年)、マイクロフォンを使用した電気録音方式が開発される。

1926年(大正十五年)、ターンテーブルを回すモーター、真空管増幅器とスピーカで構成された電気蓄音機が発売される。

1929年(昭和4年)、経営不振に陥っていたビクター・トーキング・マシーン社を RCA(ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ)が買収、RCA ビクターが誕生する。

秋田において超エレクトロラによるレコードコンサートが開催された時代に輸入された初期の電蓄(電気蓄音機)は、小学校教員の初任給が四十五円ほどの時代、ラジオ付きで約三千七百円というから、土地付きの家がゆうに三軒は建つほどの兆贅沢品。

一方、手巻きゼンマイのアコースティック式蓄音機は、日本ビクターが国内生産した卓上蓄音機・ビクトローラーが、昭和四年頃に九十円から百五十円ほどで買えた。これでも庶民にとっては手の届かない贅沢品。数年後には電蓄の値段もアコースティック式蓄音機なみに安くなるが、戦中は贅沢品として規制されたため、日本で電蓄が本格的に普及するのは戦後のことであった。


●名器クレデンザで聴く超絶的コルネット

円熟期のアコースティック式蓄音機のなかでも“究極の蓄音器”と称され、今でも根強い人気があるのが米国ビクター社製「ビクトローラ・クレデンザ」。

後期の蓄音機は、ラッパ状のホーンに取って代わって、キャビネットのなかにホーンを収納した内蔵型となる。クレデンザの複雑に折りたたまれた、音道の長さ1.8メートルほどの木製ホーンは、後に JBL社やアルテック社など有名メーカーから発売されたスピーカーの原型となった。


『Popular Science』1925年12月号より




Carnival of Venice • Del Staigers, Cornet (Victrola Credenza)

1926年(大正十五年)製の名蓄音機・クレデンザで聴く、1929年(昭和四年)録音の「ヴェニスの謝肉祭」。

電気蓄音器のような音量を調節するツマミはなく、前面の扉を開閉することで音量を調整。一回ゼンマイを巻くと、20分ほどの連続演奏が可能。当時の蓄音機用 SPレコードの最大収録時間は約4分30秒。蓄音機の鉄針の寿命は SPレコード四枚ほど。交換をおこたると高価なレコードを痛めてしまう。サウンドボックス(ピックアップ)から出る音を効率よくホーンに伝えるために、上記カラーイラストおよび動画のように、上蓋を閉めるのが正式な鑑賞法だ。

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シェルマン蓄音機

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