二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●音楽●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

楢山「石敢當」多発ストリート

街角の文化財・魔除けの「石敢當」その八

楢山の築山小学校旧校門(現グランド)から西に進み、登町に突き当たる通りは、四基の石敢當(いしがんとう)が集中する石敢當多発ストリート。

まずは東から、前回、シリーズその七「医王院前町の石敢當・ブロック塀と一心同体」で紹介した物件。



所在地・楢山本町(旧楢山医王院前町)
表記・敢當石  高さ・約31cm
撮影・2006.07


大きな地図で見る

次に、その西隣、かき氷と大福餅の名店「斎藤もちや」のある小路を南進した突き当たり、屋敷の跡地に建つアパートの前にある石敢當。



所在地・楢山本町(旧楢山末無町)
表記・石敢當  高さ・約36cm
撮影・2010.05

隷書体で刻まれた「石」の「口」の上に「一」が追加されている。石敢當の「石」の「口」の上に「点(、)」が打たれている物件をよく見かけるが、これは単なる「飾り」で、さして深い意味はないようだ。


大きな地図で見る

次は聖霊学園前を南下した楢山広小路を突き当たった地点に建つ、新しい石敢當。



所在地・楢山南中町(旧楢山笊町)
表記・石敢當  高さ・約23cm
撮影・2005.03

沖縄旅行で見た石敢當に感化されて設置した、平成初頭生まれの物件。

ここを南に曲がると笊町(ざるまち)通り。藩政時代、この一帯は足軽の居住地。貧しい武士であった足軽たちが内職でザルを造っていたことから生まれた町名で、明治末期まで二軒のザル屋が残っていたらしく、笊町から牛島橋通りに移転した竹細工屋が戦後も残っていた。


大きな地図で見る

最西端の四番目は楢山登町の曲がり角にある物件。左上部分が少し欠けている。



所在地・楢山登町
表記・敢當石  高さ・約21m
撮影・2005.03


大きな地図で見る

旭川の東側、武家町であった内町(うちまち)には丁字路が多く、十字路は少なく、交差点が少しずれて配置されている。これは外敵の侵入に備えたもので、敵の視界をさえぎり前進スピードを鈍らせる効果がある。

界隈の地理に不案内な人は、複雑で分かりづらい道筋だというが、外敵を迷わせるために設計した、城下町に特有の街並なのだからそれも当然。



そのような要害としての城下町の特徴を良く残しているのが、四件の石敢當が集中するこのストリート。上掲地図のマーキングように、南北に延びる小路のほとんどが十字路で交叉せず、少しずらした“かぎ形”に配置され、その突き当たりに石敢當が建立されている。丁字路の多さ、それが内町に石敢當が多いことのひとつの要因である。

それに対して職人と商人が住んだ、旭川をはさんだ西側の外町(とまち)、現在の大町界隈は、物流をスムーズにするため、道路が碁盤の目のように配置され、突き当たりや袋小路が少ない。

_________

関連記事

二〇世紀ひみつ基地 Y字路に謎の石柱・石敢當
街角の文化財・魔除けの「石敢當」その一

二〇世紀ひみつ基地 赤門前の石敢當・紅色は魔除けの色
街角の文化財・魔除けの「石敢當」その二

二〇世紀ひみつ基地 守る家なき石敢當・埋もれた記憶
街角の文化財・魔除けの「石敢當」その三

二〇世紀ひみつ基地 市内最大の石敢當・移動して右向け右!
街角の文化財・魔除けの「石敢當」その四

二〇世紀ひみつ基地 異色の石敢當・塗り込まれてもなお
街角の文化財・魔除けの「石敢當」その五

二〇世紀ひみつ基地 十字路の石敢當・眠りから覚めたら・・・
街角の文化財・魔除けの「石敢當」その六

二〇世紀ひみつ基地 医王院前町の石敢當・ブロック塀と一心同体
街角の文化財・魔除けの「石敢當」その七

| 散歩写真・路上観察 | 22:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://20century.blog2.fc2.com/tb.php/752-abdab9ef

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT