二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●音楽●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

四丁目橋に夜のとばりが落ちる頃


勝平得之『四丁目橋夕景』昭和初期

空の青さと夕陽の赤紫色が共演する夕刻のひととき、写真用語でいうマジックタイムの、土手長町通りから見た四丁目橋界隈。

紺色に染まる光景のなか、人力車が客待ちする橋のたもとの建物から長く伸びる電灯の陰を、人影と重ねて描く演出が印象的。得之の初期作品に特有の、ジオラマのなかの風景のような、どこかノスタルジアを感じさせる版画作品である。

橋の向こう、川反五丁目の角に建つ半円アーチ窓を連ねた復興式の洋風建築は、大正十四年落成の菓子店「開運堂」。二階に喫茶室を併設したモダンな店舗である。


開運堂 大正14年

大正二年には、秋田に初登場という金銭登録機(レジスター)を設置。菓子業界では秋田初の蒸気汽罐(ボイラー)を工場に導入したりと、「開運堂」主人はハイカラ好みの人だったようだ。

同社の公式サイトに「弊堂は、その川反四丁目橋角に、天保十年(1839)創業・・・」とあるが、当時の川反は片側町で、旭川側は物資の荷揚げ場で家屋はなかったはず。別の資料には、明治五年に下肴町で開業、同十年に三丁目小路の東北角に移転、この地で俵屋火事(明治19)に遭い、川反四丁目橋角に移転、とある。明治五年に菓子屋に転業したのかもしれないが、いずれにしろ川反に店舗を構えたのは明治以降のことに違いない。



明治40年 書籍広告

川反側から見た明治期の店舗。左手に曲がれば四丁目橋、右手が川反通り。

明治三十五年の取扱商品は「蕗漬け」「滋養ビスケット」「食パン」「のし林檎」「滋養飴」など。今の店名「翁屋開運堂」は、上掲広告文にある代表銘菓「翁糖」から命名されたようで、以前に店頭で見た記憶があるが、今は(2010.07)は同店の公式サイトにもその名はない。

後継者が絶えた「開運堂」は「株式会社かおる堂」グループの経営となり、昭和五十四年、同地に「川反八番館ビル」を建設、しばらく一階で営業をつづけた後、楢山登町の現在地に移転する。


四丁目橋夕景 10.07


川反五丁目「川反八番館ビル」 10.07

旧「開運堂」店舗は今、外装のホーロー看板と、昭和20~30年代のレプリカ映画ポスターが目を惹く、昭和レトロ居酒屋「半兵ヱ」川反店。


大きな地図で見る
四丁目橋界隈

_________

関連記事

二〇世紀ひみつ基地 レトロ映画ポスター観賞会 in 川反

二〇世紀ひみつ基地 川反五丁目雪景

勝平得之(ひみつ基地内検索)

関連リンク

翁屋開運堂

| 秋田市今昔 | 21:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://20century.blog2.fc2.com/tb.php/732-6b205fc2

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT