二〇世紀ひみつ基地

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大門の玉椿あり黄金谷・新屋名物

●黄金谷という伝説の地名

旧街道沿いに位置する秋田市新屋表町、惜しくも廃業した「黄金井酒造」周辺の旧地名を「黄金谷(こがねだに)」という。その地名は、蝦夷掃討のため新屋に立ち寄った坂上田村麻呂が、持参した黄金をこの地に埋めたという伝説をもとに命名したとされ、「黄金井酒造」の店名もこの地名にあやかったものであった。

旧「黄金谷」の周辺は醸造に適した良質な地下水が豊富に湧き、古くからそれを利用した醸造業者が集中し今も残る地域。

新屋の「黄金谷」とおなじく豊富な水が湧き、地名に「こがね」を冠した、東京「小金井」の地名起源について、Wikipedia に「「はけ」に沿って黄金(こがね)に値する豊富な湧水があるのを「黄金の井」や「こがね井」と称した」とある。

「はけ」というのは「段丘から清水が沸き出す地形」のことらしく、これは「水捌(は)け」の「はけ」=「とどこおらずに流れるさま」を語源としているとも考えられるが、それが新屋の地形と一致するのは偶然の一致とは思えない。

水道の無かった昔から、町民の日常生活と地場産業を支え繁栄をもたらした、渇水期でも絶えることのない豊富な湧水が、いかに貴重なものであったかを考えれば、新屋の「黄金谷」もまた「黄金に値する豊富な湧水の地」を意味した地名と解釈するほうが妥当ではないだろうか。


●大門の玉椿と椿印醤油

明治から大正期に出版された案内記に、河辺郡新屋町の名物として「大門の玉椿」の名が散見する。


明治四十年『秋田繁栄誌』より


大正四年『秋田興業銘鑑』より
▲大門の玉椿 町の中央に県内に有名なる椿の大木あり。大門彦右衛門氏の椿にして梵天の如く繁茂せる玉椿の古樹あり。この玉椿は二百余年を経たる稀代の珍木として知らる。同家は加賀より移住せる古き家系を有し古来酢、醤油醸造業にして名木の名を採り醤油の名称を椿印として各官衛に納め遠く北海道に販路を有し博覧会品評会等に於いて受賞する事十数回に及び酢は祖先累代の業にして家伝を得たるものなりと。
大正四年『秋田興業銘鑑』より
黄金谷(現・新屋表町)の「黄金井酒造」斜め向かいに店を構える、大門彦右衛門家の庭から道路をおおう丸い樹冠を張りだし、「椿印」ブランドの由来になった直径約60センチの名木「大門の玉椿」。通行人の雨宿りの傘となり、日陰に馬を休めたその名木は、昭和25年頃、樹齢約300年を迎えた冬、降り積もった濡れ雪の重みに絶えきらず倒壊する。


新屋表町「大彦商店」玉椿の跡

玄関に「ツバキ醤油」「山吹酢の素」のホーロー看板。その向こうにある玉椿は、枯れ死んでしまった玉椿を偲び、跡地に植えたものという。


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ここでいうタマツバキ(玉椿)は、ニシキギ科の常緑低木であるマサキ(正木・柾)のことで、タマツバキはその地方名(方言)。

常緑で光沢のある卵形の厚い葉はツバキに似て、刈り込みに強いことから庭木や生垣に用いられる。夏に開花する薄緑色の花は小さくて地味だが、晩秋から冬にかけて熟し、はぜた実の明るい朱色が白い雪と対比して印象深く、こんもりとやわらかな雪が積もった日、マサキの葉を耳に、朱い実を眼にして「雪うさぎ」をつくって遊んだことが思い出される。


マサキ - Wikipediaより

| 秋田市今昔 | 21:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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