新しき朝を報(しら)せよラジオ塔・秋田市千秋公園
■昭和の近代化遺産「ラジオ塔」の時代
●千秋公園に謎の塔

千秋公園入口の秋田県記念館に隣接する花園を写した昭和初期の写真。惜しくも焼失した秋田県公会堂の跡地を整備した花園で、右手にみえる建物が記念館の側面。
一見なんの変哲のない光景ではあるが、ベンチの向側、柵で囲まれた花壇らしき場所の中央に、屋根のある塔のようなもの建っているのが気になる。まるで地下室の換気塔のような謎の構造物は一体・・・・・・。

その謎を解く鍵をみつけたのは、平成十四年に出版された『目で見る秋田・男鹿・南秋の100年』という、昔の写真を集めた書籍。

『目で見る秋田・男鹿・南秋の100年』(株式会社郷土出版社)より
解説に「千秋公園でのラジオ体操(秋田市・昭和9年)写真は朝のラジオ体操をする愛国女学館(現和洋女子高校)の女学生」とあり、千秋公園を背景に、隣接した愛国女学館の生徒たちが輪になってラジオ体操をする、その真ん中に例の謎の構造物が建っている。
先に掲げた画像の反対側から撮影したこの写真を見て、以前にどこかで耳にした「ラジオ塔」という言葉が頭に浮かんだ。
まだラジオが普及していない時代、戦前唯一の放送局であった日本放送協会(NHK)が、野外に設置した聴取装置をラジオ塔という。正式名称は「公衆用聴取施設」。
昭和五年、大阪中央放送局(NHK)が天王寺公園に設置したのが第一号で、野球の実況中継のときなどは、ラジオ塔の周囲に人垣ができ、一球一打に歓声があがったという。
昭和七年、全国のラジオ聴取者数が百万人を突破、その記念事業の一環として各地の有名公園、広場、神社境内、役場前などにラジオ塔の建設を開始、アジア・南洋など海外の植民地にも設置され、終戦までにその数四百基を超えた。
●秋田に於けるラジオ塔
ラジオ塔に関する資料は少なく断片的、ましてや秋田の物件に言及した文献となればなおさらのこと。当時の新聞で調べようにも、設置日が判らなければ手のつけようがない。
NHK が設置したものならば、秋田のラジオ塔のこともすぐ判るだろうと、渋谷の放送センターにメールで設置日を問い合わせると、数日後、秋田放送局から返信がきた。しかし、送られてきた資料は秋田放送局の開局に関するもので、ラジオ塔に関することは一言もふれられていない。
おそらく担当者はラジオ塔を、楢山にあったNHKの「電波塔」と勘違いしたのだろう。もはや死語中の死語である「ラジオ塔」という言葉を知るのは、よほどの年配者か自分のような物好きぐらいのものだから、そんな間違いも致し方がない。
かさねて調査を依頼すれば、回答が得られた可能性もあるが、こんなことで手を煩わせるのも気の毒に思い、自力で調べることにした。
あたった資料は、秋田放送局が開局し、ラジオ聴取者数百万人突破記念として全国にラジオ塔の設置がはじまった昭和七年から、ラジオ塔のもとでラジオ体操をする写真が撮影された昭和九年までの秋田魁新報と、調査開始後にその存在を知った、日本放送協会発行の『ラヂオ年鑑』、この年鑑は戦前のラジオ史を調べるうえでの基本資料であった。
前置きが長くなってしまったが、まず、ラジオ塔建設に至るまでの経緯を、秋田魁新報の記事からピックアップする。

昭和八年十二月末の時点で県内のラジオ聴取世帯数八千七百七、普及率5.5%。これは聴取料金を支払った聴取世帯の数だから、実数はもっと多かった。

秋田放送局のコールサイン JOUK が刻まれていたラジオ塔プレート想像図
昭和七年に設置された仙台局管内のラジオ塔は、秋田市千秋公園のほか、福島市・中央公園、盛岡市・物産館前、山形市・雁島公園の五基。様式は各施設同一で、基礎コンクリート造、角灯籠型、高さ九・三尺(281.8 cm)。
昭和十五年度の県内の増設分は、土崎港町・土崎公園(神明社境内)、能代港町・能代公園、大館郵便局前の三基。昭和十八年になると仙台管内の総数は二十五基、県内の増設分は、花輪町公会堂、船川郵便局前、矢島町役場前。
●ラジオ塔のさまざま

兵庫県明石市に現存するラジオ塔 (c) OpenCage
明石市に残るラジオ塔は秋田の物件に近い角灯籠型だが、スピーカーがあった部分は空洞で、それを覆っていたと思われるシェードもない。
国内に十数基のラジオ塔が現存し、なかには復元し放送を流しているものもある。群馬県前橋市中央児童遊園の物件は、近代化遺産として国の登録有形文化財に指定されている。現存物件の画像などは下記関連リンクに。

左 奈良猿沢池畔・木造燈籠型ラジオ塔
右 札幌中島公園・軍艦マスト型ラジオ塔
『ラヂオ年鑑』より
『ラヂオ年鑑』から形式の例を挙げると、角燈籠型、春日燈籠型、木造燈籠型、神燈型、木造ボンボリ型、石燈籠型、ミゼット型、軍艦マスト型など、素材および形状も様々で、塔というよりも、まるで四角い小屋のような素っ気ない外見の木造箱型ラジオ塔も。
ラジオ塔には、側面のスイッチを押して電源を入れる「スイッチ付」、一定時間を経過すると自動的に電源が切れる「自動スイッチ付」、放送開始時間から終了時間まで流れつづける「スイッチ無し」の三種があったようで、千秋公園の物件は「スイッチ無し」だったと思われる。
●役割を終えて
終戦後、ラジオの普及とともに役割を終えた各地のラジオ塔は次々に消えてゆく。昭和25年、記念館の花園に初代の県立児童会館竣工、このときラジオ塔も撤去されたのだろう。


09.07
現在は秋田県民会館とその駐車場となったこの地に、朝にラジオ体操の輪がつくられ、スポーツ中継に歓声がわきあがり、音楽に心和ませ、終戦の年には陛下の玉音放送に耳を傾けたであろう、朝な夕なに人々が集う、ラジオ塔と呼ばれた昭和の放送モニュメントが存在した。
大きな地図で見る
「ラジオ塔」跡
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●千秋公園に謎の塔

千秋公園入口の秋田県記念館に隣接する花園を写した昭和初期の写真。惜しくも焼失した秋田県公会堂の跡地を整備した花園で、右手にみえる建物が記念館の側面。
一見なんの変哲のない光景ではあるが、ベンチの向側、柵で囲まれた花壇らしき場所の中央に、屋根のある塔のようなもの建っているのが気になる。まるで地下室の換気塔のような謎の構造物は一体・・・・・・。

その謎を解く鍵をみつけたのは、平成十四年に出版された『目で見る秋田・男鹿・南秋の100年』という、昔の写真を集めた書籍。

『目で見る秋田・男鹿・南秋の100年』(株式会社郷土出版社)より
解説に「千秋公園でのラジオ体操(秋田市・昭和9年)写真は朝のラジオ体操をする愛国女学館(現和洋女子高校)の女学生」とあり、千秋公園を背景に、隣接した愛国女学館の生徒たちが輪になってラジオ体操をする、その真ん中に例の謎の構造物が建っている。
先に掲げた画像の反対側から撮影したこの写真を見て、以前にどこかで耳にした「ラジオ塔」という言葉が頭に浮かんだ。
まだラジオが普及していない時代、戦前唯一の放送局であった日本放送協会(NHK)が、野外に設置した聴取装置をラジオ塔という。正式名称は「公衆用聴取施設」。
昭和五年、大阪中央放送局(NHK)が天王寺公園に設置したのが第一号で、野球の実況中継のときなどは、ラジオ塔の周囲に人垣ができ、一球一打に歓声があがったという。
昭和七年、全国のラジオ聴取者数が百万人を突破、その記念事業の一環として各地の有名公園、広場、神社境内、役場前などにラジオ塔の建設を開始、アジア・南洋など海外の植民地にも設置され、終戦までにその数四百基を超えた。
●秋田に於けるラジオ塔
ラジオ塔に関する資料は少なく断片的、ましてや秋田の物件に言及した文献となればなおさらのこと。当時の新聞で調べようにも、設置日が判らなければ手のつけようがない。
NHK が設置したものならば、秋田のラジオ塔のこともすぐ判るだろうと、渋谷の放送センターにメールで設置日を問い合わせると、数日後、秋田放送局から返信がきた。しかし、送られてきた資料は秋田放送局の開局に関するもので、ラジオ塔に関することは一言もふれられていない。
おそらく担当者はラジオ塔を、楢山にあったNHKの「電波塔」と勘違いしたのだろう。もはや死語中の死語である「ラジオ塔」という言葉を知るのは、よほどの年配者か自分のような物好きぐらいのものだから、そんな間違いも致し方がない。
かさねて調査を依頼すれば、回答が得られた可能性もあるが、こんなことで手を煩わせるのも気の毒に思い、自力で調べることにした。
あたった資料は、秋田放送局が開局し、ラジオ聴取者数百万人突破記念として全国にラジオ塔の設置がはじまった昭和七年から、ラジオ塔のもとでラジオ体操をする写真が撮影された昭和九年までの秋田魁新報と、調査開始後にその存在を知った、日本放送協会発行の『ラヂオ年鑑』、この年鑑は戦前のラジオ史を調べるうえでの基本資料であった。
前置きが長くなってしまったが、まず、ラジオ塔建設に至るまでの経緯を、秋田魁新報の記事からピックアップする。
◆ラジオ塔建設促進運動が盛りあがった昭和七年五月、秋田市商工会議所のメンバーが、当時秋田放送局の上部組織であった仙台放送局を訪問しラジオ塔の誘致を陳情。以上の記事から、千秋公園のラジオ塔は昭和七年の十一月初旬頃に竣工、二十日頃から放送を開始したことが判明。ちなみに JOUK 秋田放送局の開局は同七年二月二十六日。
◆同七年十月末、建設地が明徳小学校に近く授業に差し障りがあるのではないか、また、計画中の教育会館の建設にも支障をきたすと、県学務課から建設中のラジオ塔に対して抗議。
◆同七年十一月十四日、「新風景ラヂオ塔」のタイトルで写真掲載。キャプションに「県記念館花壇に新設された秋田市新風景ラヂオ塔は来る二十日頃から散歩の人々にお早うからお休みなさいまでの御愛嬌をふりまくことになった」とある。
◆同七年十一月二十日、ラジオ塔建設を記念して、隣接する記念館内において UK 子供大会開催、市内の小学校児童の唱歌、児童劇などが中継放送される。

音で見る野球ラジオ塔のある花園の木陰に集い、秋田中学(現・秋田高校)が出場した全国中等野球大会(現・高校野球大会)に耳を傾ける市民。
秋中と郡山中学の野球試合を聴かんものと早朝から賑わった記念館構内のラヂオ塔付近
昭和八年 秋田魁新報より
昭和八年十二月末の時点で県内のラジオ聴取世帯数八千七百七、普及率5.5%。これは聴取料金を支払った聴取世帯の数だから、実数はもっと多かった。

秋田放送局のコールサイン JOUK が刻まれていたラジオ塔プレート想像図
昭和七年に設置された仙台局管内のラジオ塔は、秋田市千秋公園のほか、福島市・中央公園、盛岡市・物産館前、山形市・雁島公園の五基。様式は各施設同一で、基礎コンクリート造、角灯籠型、高さ九・三尺(281.8 cm)。
昭和十五年度の県内の増設分は、土崎港町・土崎公園(神明社境内)、能代港町・能代公園、大館郵便局前の三基。昭和十八年になると仙台管内の総数は二十五基、県内の増設分は、花輪町公会堂、船川郵便局前、矢島町役場前。
●ラジオ塔のさまざま

兵庫県明石市に現存するラジオ塔 (c) OpenCage
明石市に残るラジオ塔は秋田の物件に近い角灯籠型だが、スピーカーがあった部分は空洞で、それを覆っていたと思われるシェードもない。
国内に十数基のラジオ塔が現存し、なかには復元し放送を流しているものもある。群馬県前橋市中央児童遊園の物件は、近代化遺産として国の登録有形文化財に指定されている。現存物件の画像などは下記関連リンクに。

左 奈良猿沢池畔・木造燈籠型ラジオ塔
右 札幌中島公園・軍艦マスト型ラジオ塔
『ラヂオ年鑑』より
『ラヂオ年鑑』から形式の例を挙げると、角燈籠型、春日燈籠型、木造燈籠型、神燈型、木造ボンボリ型、石燈籠型、ミゼット型、軍艦マスト型など、素材および形状も様々で、塔というよりも、まるで四角い小屋のような素っ気ない外見の木造箱型ラジオ塔も。
ラジオ塔には、側面のスイッチを押して電源を入れる「スイッチ付」、一定時間を経過すると自動的に電源が切れる「自動スイッチ付」、放送開始時間から終了時間まで流れつづける「スイッチ無し」の三種があったようで、千秋公園の物件は「スイッチ無し」だったと思われる。
●役割を終えて
終戦後、ラジオの普及とともに役割を終えた各地のラジオ塔は次々に消えてゆく。昭和25年、記念館の花園に初代の県立児童会館竣工、このときラジオ塔も撤去されたのだろう。


09.07
現在は秋田県民会館とその駐車場となったこの地に、朝にラジオ体操の輪がつくられ、スポーツ中継に歓声がわきあがり、音楽に心和ませ、終戦の年には陛下の玉音放送に耳を傾けたであろう、朝な夕なに人々が集う、ラジオ塔と呼ばれた昭和の放送モニュメントが存在した。
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「ラジオ塔」跡
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