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たそがれゆく街にて・秋田ニューシティの終焉


09.08

解体も間近との噂も聞こえる、秋田市大町の秋田ニューシティビル。

所有者である日本生命保険相互会社が、維持費のかさむニューシティビルの解体を予定しているという噂が数年前から流れていたが、地下で営業していたスーパー「ヤマト」が、隣接した AD ビルに移転、150年を超える老舗「辻兵呉服店」も、今年の5月に永い歴史に幕を下ろし、立ち退きを言い渡された店舗の閉店・移転準備もはじまっている。

当初5階まであった営業フロアは2階までに縮小、夜9時までの営業時間は、しばらく前から7時に繰りあげられた。先代の辻兵吉氏が亡くなってからというもの、終焉への動きが加速化しているように感じるのは、ただの偶然か。



昭和56年、「ダイエー秋田店」と「辻兵」を核店舗として、鳴り物入りでオープン以来、途中で「ダイエー」の閉店というダメージもどうにか乗り越え、大町の中核ビルとして存在して28年。

中核商店の空洞化、それは地域住民にとって、淋しさと空しさをともなう、やれきれない心の空洞化。

地域の活性化を目的としたイベントが増えても、それはその場限りのにぎわいが創出されるだけで、目に見えるカタチで実を結ぶことは少ない。「活性化」が叫ばれること自体、「衰退化」が癒しがたく進行していることの証であるのだから。



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| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 21:00 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

はじめまして。確かに一過性のイベント乱発や行政主体の“箱物”整備ばかりでは真の意味での中心街再生にはなりませんよね。「時代遅れ」との批判もあるでしょうが、私はやはり秋田市の中心街、それも大町街区には本格的な百貨店を核とした民間の大型商業ビルが欠かせないと思うのです。大不況下で消費者の節約志向が強まっているとはいえ、秋田市クラスの広域中心都市ならば世界的プレミアムブランドや百貨店への潜在的なニーズは決して少なくないはずですし、郊外店と中心街の百貨店では基本的に購買層も違うと思うのです(青森の中三は、本来なら秋田店を御所野ではなく中心街にこそ出店し、自社で食品売場を開設すべきでした)。既存業者の直接出店が不可能なら、熊本市の「くまもと阪神」のように地元経済界の共同出資で「県民(市民)百貨店会社」を設立し、隣県・近県の有力百貨店(中三以外にも、盛岡の川徳、仙台の藤崎・さくら野、あるいは金沢[新潟にも店舗あり]の大和などが候補に考えられます)と商品供給・経営手法支援などの提携関係を結んで、例えば「株式会社秋田中三」の社名・店名で日本百貨店協会に加盟して営業してもいいのではないでしょうか。
ニューシティの建物を解体するなら、日銀秋田支店も旧・アーバンホテルの位置に移転させ、ブロック全体を今申し上げた百貨店ビルとして再開発、道路をはさんだ西隣のブロックも南半分(竿灯大通側)を駐車場棟にしてはどうでしょう。店舗の規模やフロア構成・売場レイアウト、駐車場のキャパシティ等は、岩手・北上市の「さくら野北上店(ツインモールプラザ)」などを参考にしては?と思います。
美しい自然と数々の名所旧跡、おいしい料理に恵まれた秋田市は、元来観光都市としての潜在的なポテンシャルを大いに秘めています。それだけに、地元市民も、県外から秋田市を訪れるお客様も、心から街歩きやお買い物を楽しめる、そんな大町の復活を、と願って投稿した次第です。
長い文章になってしまい大変申し訳ございませんでした。

| I love AKITA | 2009/09/26 20:44 | URL |

全国の旧ダイエーが入ってた店舗は

軒並み解体の運命をたどってますね

| やんじ | 2010/01/14 23:03 | URL |

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| - | 2010/01/30 16:24 | |















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