二〇世紀ひみつ基地

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イベント広場としての二の丸・千秋公園

●観桜会名物・川反芸者の手踊り



昭和初期の撮影とおぼしき、花見時期の千秋公園二の丸のにぎわい。舞台では恒例の川反芸者の手踊り、左手の移動屋台に「アイスクリーム」の文字がみえる。

なにしろ、大正の全盛期には約三百人の川反芸者がいたのだから、観桜会期間中は連日、それぞれの家(置屋)から選ばれた芸者たちが舞台にあがり、揃いの着物で妍(けん)を競ったものだろう。

観桜会での川反および土崎芸者の手踊りは、戦中から戦後にかけて中断され、昭和三十年代に復活するが、戦後は芸者の数が激減、やがて人数が揃わなくなり消滅する。


千秋公園二の丸 09.04


●二の丸を再びイベント広場に

秋田初の野球リーグ戦が開催された二の丸広場は明治からの運動場であり、各種イベントが開催された場所。いくつか例を挙げれば、昭和初期の「大音量レコードコンサート」、春の夜の「さばぐち」(綱引き)、真夏の夜の「納涼映画会」。戦後も「納涼映画」が上映され、サーカスのテントが張られたこともあった。


二の丸運動場・大正期

さらにさかのぼる藩政期には、能舞台の仮設や、ささら踊り、外町や湊町の町踊りを催し、桟敷席を設け、一般町民にも見物させることもあったという。

乾燥した日が続くと、土ぼこりの舞った二の丸に、芝生と樹木が植えられて整備されたのは、昭和28年頃のこと。しばらくの間、その芝生には“立入禁止”の立て札が打たれ、のちに池のあるモニュメントなどが置かれて今の姿に。

二の丸の整備にともない観桜会の特設舞台は本丸へ移動。その場所は御隅櫓の下、戦前は招魂社(現・護国神社)があった人工滝のあたりと思われる。昭和45年頃から観桜会の特設舞台は廃止され、昭和61年の春、二の丸に戻って復活。

周囲に住居もなく、騒音公害を心配する必要もない二の丸は、野外音楽イベント会場として最適な環境なのだが、現在、市ではそのような目的での使用を許可しないようだ。

例えば、中央の樹木を撤去しモニュメントを移転、北側もしくは西側に屋根付きの野外音楽堂を設置し、フリーマーケットなどにも使える、市民のイベント広場として二の丸を開放してはどうだろうか。

中央の芝生が踏み荒らされることを心配するのなら、いっそのこと芝生の代わりに、柔らかく水はけの良い「コルク入り弾性舗装」にでもすれば良い。



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