二〇世紀ひみつ基地

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秋田における近代スキーの黎明

●秋田スキー事始め

東京高等師範学校教授・永井道明が、秋田市における体育講習会の際、スウェーデンから持ち帰ったノルウエー式(二本杖)スキーを持参し、実演および指導をしたのは、明治四十三年十二月のこと。

明治四十四年一月十二日、オーストリアのレルヒ中佐が、“日本スキー発祥の地”新潟県高田市の金谷山において、陸軍歩兵第五十八連隊の青年将校たちにオーストリア式(一本杖)アルペンスキーを指導をした数週間前のことである。


高田市におけるスキー・左にレルヒ中佐
明治四十四年刊『スキ-写真帖』第十三師団司令部蔵版より


●スキーに魅せられた永井道明

体育研究のため欧米留学を命じられた体育学者・永井道明は、明治四十年から約一年間、ストックホルムに滞在し、スウェーデン体操を研究する。このときスキーの存在を知った永井は、実用的かつ体育学的にも有効なスキーに魅せられ、その技を磨いた。
何と言っても一番感服したのは冬の遊び氷や雪の運動であった。‥‥中略‥‥至る處の湖岸のスケート、山林丘陵のスキー、冬ならでは見ることのできない活動の楽天地である。
 余は此の間に余に取りて最も珍しいスキーを試みた。暇さえあれば、出来さえすれば練兵場の雪の上に瑞典(スウェーデン)の子供達仲間に入れてもらって滑走否・・・・・・多くは転倒・・・・・・した。幸いに身丈が短小なので彼らの歓迎と愛護とを受けた。次の事は其の際生んだ奇談のひとつである。
 或時瑞典第一流の新聞第一ページに余のスキー写真を掲げ、題して「スキー上に於ける日本公使」としてある。これには時の公使(後独逸大使)杉村虎一氏も苦笑された。
‥‥中略‥‥
 他日杉村公使は、スキーのわが国民なかんずく陸軍に必要で有るべきを考えられ、其二三を寺内陸軍大臣に送付せられた。陸軍はこれを雪の高田師団に送って研究を命ぜられた。かの長岡将軍堀内中将などの奨励と相俟って、当時幸いにも同師団滞在中の墺太利(オーストリア)レルヒ中佐の指導に頼りて、スキー練習を開始したのは明治四十四年で、余が明治四十三年秋田を始め山形、岩手、青森等に試みた翌年であった。‥‥中略‥‥余と間違われた杉村閣下が送ったスキーが因をなし、わが国スキーの発祥をなしたのも余よりすれば実に奇跡好運である。而して爾来スキーが真に長足の進歩を遂げ、国際的にも民衆的にも今日の隆昌を来したのを想う時に、世間の事唯々歓喜の外はない。‥‥後略‥‥
『遺稿 永井道明自叙伝』より
明治四十三年、当時スウェーデンの日本公使だった杉村虎一が陸軍省に寄贈した二台の軍用スキー(山地用と平地用)と関連書籍は、新潟の師団に送られ、高田にスキー研究班が組織された。彼らはレルヒが来日する前に独学でマスターしてやろうとスキーを試みるも失敗に終わり、翌四十四年一月十二日からレルヒの指導を仰ぐことになる。


●もうひとつのスキー発祥地・秋田

海外留学から帰国し、東京高等師範と東京女子高等師範の教授を兼任していた永井道明が、明治四十三年十二月、秋田女子師範学校における体操講習会(秋田県教育会主催・十二月二十四日~二十九日)のために来秋。この講習会、前秋田県師範学校長・横山栄次と、秋田市出身で女子体育教育の先駆者であった井口あくりの要請で実現したらしい。


左・大正二年書籍広告 右・永井道明『家庭体操』明治四十四年より

そのとき、永井はスウェーデンから持ち帰ったノルウエー式(二本杖)スキーを持参、体操講習会の合間を見て、自ら実演してみせたほか、希望者にスキーを履かせて指導した。実演した場所として記録されているのは、千秋公園坂下門跡をはじめとして、手形山、楢山運動場(平地)、手形練兵場(平地)。


千秋公園坂下門跡

永井道明によるスキーの実演と指導は、高田市におけるレルヒによる指導に先立つ、前年の歳末に行われたのだから、秋田こそが“スキー発祥地”といえそうだ。ところが、永井(秋田)、レルヒ(高田)以前の日本スキー史をさかのぼると、以下のような記録もある。

■明治四十一年、札幌の東北帝国大学農科大学(現・北海道大学)予科のドイツ語講師・ハンス・コラー(スイス人)が、母国からスキー一台を輸入し学生等ともに試乗、ハンスはスキー術に未熟で、履いて歩く程度だった。

大正時代、「スキー発祥地は札幌か高田か」をめぐって論争が起こったが、正式なスキー術を導入し、全国普及の契機となった高田を発祥地とすべき、との結論にいたり高田に軍配が上がる。

理解ある師団長(長岡外史)の下、陸軍が主体となりスキーを組織的に導入した高田では、レルヒの初指導から間もない、明治四十四年二月、日本初のスキークラブ「高田スキー倶楽部」の設立、競技会の開催など、スキーが着実に定着し、全国へ普及してゆく端緒となったという意味では、新潟の高田(現・上越市)が“スキー発祥地”の名にふさわしい。


高田市におけるスキー
明治四十四年刊『スキ-写真帖』第十三師団司令部蔵版より

北海道および、まだスキー用具も満足になかった秋田には、それを受け入れる体制がなく、永井道明の来秋がスキーの普及に結びつくには至らなかった。

それでも、本場仕込みのスキー術に熟練した人物が、スキーを指導した例として、千秋公園および手形山は、“秋田のスキー発祥地”であることは言うに及ばず、雪国に点在する“日本スキー発祥地のひとつ”ということができよう。


●平野政吉のスキー道楽

そのほか、土地の富豪が道楽としてスキーに乗った例として、青森の豪商・野村治三郎が明治三十七年、ノルウェーからスキー二台を輸入し試乗(野辺地に「スキー発祥の地碑」あり)。

永井道明が秋田にスキーを持って来た明治四十三年、秋田市大町の大地主の息子・平野精一(三代目・平野政吉)が十五歳のとき、ノルウェーからスキー用具一式を取り寄せて滑ったことを自ら語っている。その日付はわからないが、平野は秋田でスキーを履いて滑った初めての人物かもしれない。


●その後の秋田スキー史

■明治四十五年一月、新潟県高田市における三週間のスキー講習会に、降雪地師団専修員として、歩兵第十七連隊の村野誠一中尉を派遣、レルヒの指導でスキー術を習得。

■明治四十五年二月、オーストリア人クラッツアーを横浜から招き、小坂鉱山においてスキー講習会開催。

■明治四十五年二月、高田市でレルヒから指導を受けた、歩兵第十七連隊の村野誠一中尉を指導者に、秋田市で十五日間にわたりスキー講習会を開く。森正隆県知事は、スキー講習会が始まった二月十四日付で各学校・役所に宛てて「スキー及び相撲」を奨励する訓令を出す。

この講習会は連隊だけではなく、希望があれば学生など一般人にも門戸を解放、県内の各学校、電灯会社、大林区署から各一名ずつ、計二十数名の民間人が参加。レルヒのプログラムに従い、講習、学科、実技指導が行われた。

実地講習の場所は、千秋公園と金照寺山。最終日の二日間は、木曽石経由で前岳に宿泊し、夜明けに下山する、有志による太平山への一泊行軍で締めくくられたが、これは積雪が少なく満足のいく結果ではなかった。

■大正元年十二月、先のスキー講習会参加者を中心に「日本スキー倶楽部秋田支部」結成、秋田県知事が支部長に就任。

■大正二年二月、高田市で「第一回全国スキー大会」開催。秋田県から煤賀儀八郎(旭北小学校教員)、三浦弥(秋田中学校)、武藤鉄城(秋田中学校)の三人が出場。雪質の違いに苦しむも、煤賀は長距離で六等、武藤は長距離で八等、短距離で四等に入賞する。

当時、秋田中学校の四年生だった、秋田市豊岩生まれの武藤鉄城は、著作も多い考古学・民俗学者でありながら、スポーツセンスに優れた文武両道の人で、大正十二年には、ラグビー、スキー、ホッケーなど西洋近代スポーツ普及を趣旨とした「秋田運動倶楽部」を結成、のちにラグビーとスキーの功労者ととして、県体育功労賞を受賞している。


秋田市のスキー風景・大正期

一本杖と二本杖が混在するスキー風景を写した、「秋田市付近のスキー」とキャプションが付けられた、手形山と思われる写真。


●新聞広告にみる秋田スキー黎明期


新聞広告 大正二年一月


新聞広告 大正二年一月


新聞広告 大正二年十二月

教員の初任給が十円ほどの時代、輸入スキーの価格は五円から八円と高価だったが、スキー人口が増え始めると、ほぼ半額の国産品が造られるようになり、大正二年頃から県内でも、曲木家具で有名な秋田木工などが製造が始め、さらに安価に販売するようになった。

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関連リンク

日本スキー発祥記念館

スキーの歴史(世界と日本の歴史年表・年譜)

スキー発祥の地碑 - 青森県野辺地

| 秋田市今昔 | 21:00 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

手形山と言えば、水道山の奥の方にプレハブのお世辞にもロッジとは言えないようなほったて小屋があるお子様向けスキー場があった記憶があります。
私が通っていた旭川小からほど近かったため、スキー授業はそこでやっていました。
写真の場所は、そのゲレンデかどうか解りませんが、もし同じ場所だったら、相当賑わいのあった場所だったんですですね。

| みっち | 2009/03/14 18:23 | URL |

Re: 手形山スキー場

秋田市内の小中学校のスキー授業といえば、手形スキー場が定番でしたね。
今の城南中学校のあたりにあった、金照寺山スキー場にも、家から近かったので、
よく遊びに行きました。もっぱらソリ遊びでしたが。

| たふらんけ。 | 2009/03/14 21:34 | URL |















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