二〇世紀ひみつ基地

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昭和30年の秋田市と平野政吉のこと

昭和30年の秋、全国の映画館で映画の前に上映されたニュース映画。(現在、動画配信元が公開を停止中)

冒頭のタイトルバックは、土手長町通りの消防署(現・ホテルはくと界隈)火の見櫓から、左下に秋田市役所の明治建築を俯瞰した市街。

夜明け前、秋田駅からあふれ出て市場へと向かうガンガン部隊(行商人)の群れで始まり、市場の青空マーケット、農協倉庫、大町三丁目の町家・醤油の田中太吉商店、大町一丁目の平野政吉邸、藤田嗣治画伯の大壁画とつづき、田圃の中の八橋油田で終わる。

なかでも興味深いのは、まだ60歳前後の平野政吉(1895~1989))の姿。本金(現・イーホテル秋田)から俯瞰で、大町一丁目の平野本邸をとらえるカメラは室内に移り、真贋取り混ぜた膨大なコレクションに囲まれた三代目・平野政吉。つづいて、下米町の平野家米蔵に眠る、藤田画伯の手になる門外不出の大壁画「秋田の行事」。


●奇人・平野政吉スピード狂時代

平野家は佐竹氏にともない水戸から秋田に来た米穀商、もともとは米町で営業していた。終戦後の農地解放までは、300町歩の水田と600人の小作人をかかえる大地主で、金融業(質屋)も営む。精一(幼名)は、その三代目として明治28年に誕生。

三代目・平野政吉にまつわる枚挙にいとまがないエピソードから、若き日のスピード狂時代のことを。

15歳のときの毎月の小遣いが75円、教員の初任給が約10円の時代である。この頃から、安い物は10銭ほどで買えた浮世絵版画を蒐集し始め、輸入車のオートバイを東京の代理店から取り寄せ、フルスロットルで乗り回し市民を驚かす。これが秋田で最初のオートバイという。

大正2年、今度は自動車に熱中、まだ国産自動車が販売される前、東京帝大の博士に設計を依頼して造らせた、秋田初の自動車を購入、舗装されていない道路を土煙をあげ、フルスピードで脱兎の如く走り回った。手漕ぎボートしかなかった時代、秋田で最初のモーターボートで、秋田市の中心部を流れる旭川で轟音としぶきをあげて操縦。

オートバイ、自動車、モーターボートの全てを赤色にペイントし、白文字で大きく「HIRANo」と入れた。「o」だけを小文字にしたのは、大文字だけをフランス語読みで読めば「いらん」つまり「問答無用」という意味だとか。

さらに、乗り物に乗るときの服装も赤一色に統一、その奇人変人ぶりに「キ記だ!」「平野のあんちゃ、とうとう乗物バカになってしまった」と噂され、秋田市でその名を知らぬもののいない名物男に。

大正3年、秋田に初めて飛行機が来て空を舞って以来、飛行機に夢中になった青年は、自動車の前に本物のプロペラを取り付けて走らせ、飛行士への夢を募らす。

大正6年、「飛行士になって後世に名を残す」との書き置きを残して東京に出奔。日本帝国飛行協会で操縦を学ぶ。

平野政吉
▲所沢飛行場に於ける平野氏

大正13年、軍の払い下げで購入した百二十五馬力の複葉機を、強風のなか制止を聞かず操縦中、木更津沖に不時着、九死に一生を得、秋田で療養生活を送る。
 

●米蔵の大壁画

なんでも「いちばん」にならなければ気が済まず、人を驚かせることが大好きだった男が、映画撮影のため秋田を訪れた、“世界一の絵描き”を自称する藤田嗣治に「それならば世界一の絵を・・・」と迫り、やがて完成したのが、平野政吉美術館の目玉として展示されている「秋田の行事」。

米蔵をアトリエに15日間で完成した、長さ20.5メートル、畳64枚分の壁画に平野が支出した金額は50万円、当時、家百軒はゆうに建つ金額だったとか。

秋田の行事
▲秋田の行事

平野は「秋田の行事」ばかりではなく、全国都道府県の風俗壁画を藤田に描かせ、レールを敷いた長屋形式の美術館を建てて展示し、トロッコに乗せて観覧させる計画だったというから驚く。そんな夢のようなお話も、実現しかねないほどの富豪であった。

昭和42年、永年の念願だった美術館が千秋公園入口に竣工、米蔵を壊して運ばれた壁画は、大きすぎて美術館の入口から入らず、できたばかりの壁をくり抜き、約一週間をかけて展示された。

平野政吉に関するエピソードの数々は、平成14年に出版された『平野政吉 世界のフジタに世界一巨大な絵を描かせた男』渡部琴子(新潮社)に詳しい。

当初は「藤田美術館」とする計画だった名称が、最終的に「平野政吉美術館」となったことで、絵描き(藤田)とパトロン(平野)の間に亀裂が入り両者は絶交するが、その経緯については、藤田側の証言と、平野の言い分に食い違いがある。その点を補完する意味でも、同時期に出版された『藤田嗣治「異邦人」の生涯』近藤史人(講談社)を併読することをおすすめしたい。


▲一丁目小路・平野本邸勝手口

大町一丁目の角地にあった平野本邸と土蔵は駐車場に、藤田画伯が壁画製作中に止宿した鷹匠町の平野別邸跡地にはマンションが建ち、今はそのコレクションの一部と美術館だけが残された。


「平野本邸」跡

▼平野政吉、始めて飛行機を見る 

秋田県立美術館 -

| 秋田市今昔 | 22:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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