二〇世紀ひみつ基地

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札打ちの大喧嘩・レジャーとしての札打ち


二十六番札所・當福寺

一月十六日の深夜、日にちが変わって十七日は「札打ち」、正式名称「久保田三十三番札所巡礼」の日。今は自家用車を使い、順番もさして気にしない向きも多いが、以前は全行程を徒歩で必ず順番通りに巡礼した。

厳冬の夜、一番札所の泉から、手形、広面、楢山、牛島、川口境、寺町を経て、三十三番の八橋まで、五時間から八時間をかけて歩く。とくに手形から楢山にかけては田んぼの畦道がつづき、吹雪になると雪明かりだけの道を、前をゆく行列の背中を目当てに歩いたと聞く。

大正時代の魁新報に「札打ち」の賑わいと、その道筋で起こった傷害事件を伝える記事がある。




本日の札打ちは近来にない人出で未明から市内、市外の善男善女真ッ黒になって雪崩の如く各寺院を流れ市内寺町などは上へ下への大賑わいだったが殊に人出盛った午前七時頃寺町當福寺に意外な椿事が演ぜられた。市外八橋の一団に加わっていた同所渡邊●●(三三)が、々土崎港将軍野一団中の石田●●と當福寺境内で出会い、ちょっとした言い争いから渡邊が石田の持っていたパンを奪って屋根の上に投げつけ、こんなパン何だい!と罵ったのが石田の憤怒を買い、石田は前後も忘れて札打ちに持って来た頑丈な金槌で渡邊の前頭部を力まかせに一撃したので渡邊は血に染まって昏倒したが急報によって大工町派出所から警官急行して逃亡中の加害者を捕らえ得たが可成りの重傷らしく秋田署では目下取調中
大正十五年一月『秋田魁新報』より(名前は伏せ字にした)
札打ちの夜は各所に食べ物や酒の屋台が出た。大人は酒を飲み、女子どもは甘酒や汁粉を飲んだりと、冷え切った体を暖めたものだろう。朝になると腹もへり、八橋の茶屋や蕎麦屋も繁盛した。とくに札所が集中する寺町は出店が並び、お祭りのような賑やかさで、お祭り気分で酒を飲み、騒ぎだす異装の若者集団のことなども記録されている。當福寺での喧嘩も、酒の上でのいざこざだったのではないだろうか。

厳冬期の苦行をともなう死者への慰霊と供養である「札打ち」は、その家族のみならず、親戚縁者がうちそろい、お祭り好きの若者なども巻きこんだ、“寒中恒例のレジャー”という一面もあった。江戸時代に一大ブームとなった「西国三十三番札所巡礼」や「お伊勢参り」が「神仏の光を仰ぎ観る」=「観光」というレジャーでもあったように。


二十六番札所・當福寺

二丁目小路(現・山王大通り)のつきあたりに位置した當福寺の境内を貫通して、新国道に抜ける道路が戦前に貫通、さらに戦後の拡幅工事で再び大きく削られて、その敷地は時を経て大幅に縮小された。

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