雪車の芸者さん・冬の秋田風俗

大正時代の絵葉書から
これからお座敷に出かけるところだろうか、雪車(そり)に乗る川反の芸者さんと、雪駄を手にした印半纏姿の車夫。
秋田の人力車夫たちは降雪期になると雪車を押して客を運んだ。これはいわゆる「箱橇」(はこぞり)のことだが、戦前の記録をみると、「雪車」と書いて「そり」と読ませている。
家庭用の箱橇と違う点は、乗り込みやすいように前方が開閉式なっており、人力車のように風雪を避ける幌が取り付けられていること。体を覆う毛布も用意されていた。
○箱橇にも色々ある。まづ人力車に代る客用箱橇は雪国の駅々で客を待っている。箱の入口は半開きとなって、乗るのに都合よく出来ている。雪の降る日は幌をかける様になっているから、戦後派達のアベックにはこれが好まれる。引張る人力車と違い、氷る雪上を滑るのであるから速力も早く、これを押す車夫も亦楽である。箱を黒漆で塗った真鍮の金具付の豪華な橇は町医者の乗物である。火急を要するものは二人引と言うのがある。犬橇はもうみられないが、各家庭には、乳母車代用の箱橇がある。子供達は雪帽子(ボッチ)をかぶり雪靴(ヘトロ)をはき、玩具の様な箱橇を押して雪の中をかけ廻る。『橇に眼(マナ)コない馬(ンマ)コならよけて行け』と童謡を歌い乍らせまい雪路を我物顔に遊ぶので、人々はこの小さい暴君のために路をさけ譲歩せざるを得ないのである。勝平得之「画文集」・文化出版より

大正時代の絵葉書から
秋田倶楽部(後の「あきたくらぶ」)の池に架かる橋を、雪車に乗って倶楽部本館へと向かう芸者さん。車夫は洋服に帽子をかぶっている。後ろにみえる建物は、数年前まで存在した倶楽部別館で、本館跡に戦後建設されたのがアキタニューグランドホテル。今の「ホテル グランティア」と「華の湯」の一帯。

書籍広告・明治四十年
大正七年の魁新報によれば、秋田市内における人力雪車の挽子(車夫)数は、まだ秋田市に属していない牛島町の同業者を含めて約二百七十名。料金は悪路と夜間は二割増しとなるが、規定料金を守らず不当な料金を要求する業者がいることが問題にされている。

大正時代の絵葉書から
こちらは北海道は小樽の、人力車の車輪を外して橇を取り付けたようなスタイルの雪橇。秋田では「押す橇」なのに対して「引く橇」であるのが興味深い。橇の場合、押す方が効率的だと思うが、同じ雪国でも“所変われば品変わる”である。
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