二〇世紀ひみつ基地

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ドーム屋根のモダン建築・秋田物産館


秋田物産館(昭和初期の絵葉書より)

大正十四年、秋田市土手長町中丁(現・中通三丁目)、現在の北都銀行本店営業部の地に、産業の振興を目的とした「秋田物産館」竣工。十月十五日のオープンの日、宮城・岩手における陸軍大演習統監を終た摂政宮(のちの昭和天皇)が物産館をご覧になった。

左手前の建物が昭和六年竣工の秋田警察署、角を左折すると今の中央通りだが、まだ道幅が狭く、駅方向に直進すると十七連隊にぶつかる。昭和三十年代に警察署があった北側を取り壊し道路を拡幅。

物産館の向かい、旭川沿いに軒を並べていたのが「勧工場」(かんこうば)と呼ばれた名店街。この写真絵葉書の発行元である「光文堂書店」という絵葉書屋も、この勧工場で営業していた。詳細は文末の関連記事リンクに。

建坪二七五坪、鉄筋コンクリート煉瓦仕上げ。工費約四十六万二千円(教員の初任給が四十円ほどの時代)。地下に事務室、一・二階が陳列室、三階の一部に貴賓室、屋上付き。

県の山田技師が、伊藤忠太博士(代表作・築地本願寺)の指導で設計、仙北郡角館町の菅原組が施工にあたった。屋上のある建物がまだ珍しかった当初は“超モダン建築”として人気を集め、郡部から弁当持参の見物客が絶えなかったか。



道を行く風呂敷包みを携えた三人の女学生。このセーラー服は「聖霊高等女学院」(現・聖霊女子短期大学付属高等学校)の夏服だろう。

大正十二年九月一日正午前に関東地方を襲った関東大震災以来、鉄筋コンクリート建築の耐震性が注目され、それ以降徐々に鉄筋コンクリートを使った建物が増加する。秋田市においても、物産館に先立つ大正十四年中に、二丁目小路(現・山王大通り)に勧業銀行秋田支店、山口銀行秋田支店が鉄筋で竣工している。


秋田物産館(絵葉書)

人着(人工着色)による印刷。昭和六年竣工の秋田警察署がまだ建っていない。

中央にそびえるドーム屋根が印象的な秋田物産館だが、“ドーム屋根の物産館”で思い出されるのが、チェコの建築家ヤン・レツルにより設計され、大正四年オープンした「広島物産陳列館」。秋田の物産館はこの建物に少なからず影響されたに違いない。


広島物産陳列館(大正初期の手彩色絵葉書より)

広島物産陳列館、広島県商品陳列所、広島県産業奨励館と名称を変えた建物は戦後、「原爆ドーム」というもうひとつの名で世界的に知られる戦争遺跡となった。


原爆ドーム(wikipediaより)

終戦を前にした一時期、防空本部となった秋田物産館は、戦後の二十二年、屋上部分に三階を増築し、県土木部や教育庁が間借りするが、この頃になると老朽化が目立ち始め、三階を増築したのも屋上からの雨漏りを防止する目的もあったのだという。


三階を増築した戦後の物産館

同じ土手長町通りの秋田県庁が焼失し、山王へ移転した空地の一角に、昭和三十五年「秋田産業会館」オープン。役割を失い空き家になった物産館を博物館にする運動もあったが、それも実らず、往年のモダン建築は公売にかけられることに。

土地付きの物産館を八千七百万円で落札した、横手市に本店を置く「羽後銀行」は物産館を解体後、本店を新築移転、現在の「北都銀行本店営業部」の建物で昭和三十九年業務を開始。同じ頃、増田町出身の漫画家・矢口高雄は、羽後銀行の支店に務めながら趣味で漫画を描き、コミック誌『ガロ』などへ投稿をつづけていた。


北都銀行本店営業部(旧羽後銀行本店) 08.12

北都銀行本店営業部の場所は“秋田市役所発祥の地”。明治十二年に開設された南秋田郡役所の擬洋風建築庁舎に、同二十三年四月、初代の秋田市役所が誕生するが、同三十八年焼失。それ以降の市役所庁舎については下記関連記事リンクに。


初代秋田市役所(南秋田郡役所)


大きな地図で見る

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