二〇世紀ひみつ基地

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二の丸運動場・千秋公園


千秋公園二の丸運動場・大正期

千秋公園入口から坂を上った場所に広がる二の丸は、遊具、鉄棒などが置かれた、明治の末ごろからの運動場であった。



鉄棒の向こうに木馬と流動木、突き当たりに茶店らしき小屋。鉄棒の高さは一定だが、足場となる横木に高低をつけることで、二段階に調節している。



明治三十三年六月、二の丸において野球大会開催、これが秋田における野球リーグ戦の嚆矢とされている。出場チームは秋田師範学校、秋田第一中学校(秋田中学校)、南楢岡倶楽部。

スポーツの権威で「駅伝」の名付け親でもある武田千代三郎知事(福岡生まれ・当時三十二歳)と県会議員が来賓席に座り、数百人の観衆が詰めかけるなか行われた、南楢岡倶楽部と秋田師範の決勝は接戦となり、21-20の僅差で南楢岡倶楽部に軍配が上がる。

この試合中に武田知事が、県教育会(知事が会長兼務)としてリーグ戦に「挑戦杯」(チャレンジカップ)を寄贈することを県会議員たちに提案、その場で満場一致で可決され、以降の大会名となる。

チャレンジカップは、野球嫌いの森正隆知事が着任する明治四十一年まで続けられたが、千秋公園二の丸で開催されたのは一回目だけで、二回目以降は、より広い楢山グラウンドで行われるようになった。


二の丸(初夏)

| 秋田市今昔 | 23:30 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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| - | 2008/11/01 14:51 | |















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