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藍染めの奉納幕の美しさ・下米町一丁目


05.08.03

最近、「魁新報」や「広報あきた」に紹介されてすっかり有名になった、下米町一丁目(現・大町一丁目)の稲荷神社に百五十年以上前に奉納された神社幕。竿灯まつりが近づくと、神社は竿燈事務所となり、期間中その入口に張られるが、保存を考慮して社内にしまわれていることもある。

長さ約9メートル。木綿生地に藍染めで、下米町一丁目の町紋「日の丸に右三階の松」が染め抜かれた、風格を感じさせる粋な奉納幕である。


●藍のタマモノ

発酵させた蓼藍(たであい)の葉から染液をつくり染色する「本藍染め」には、虫除け・ヘビ除け・殺菌効果があるとされ、古くから野良着、甲冑の下着・火消し装束、浴衣、暖簾、風呂敷などに広く用いられてきた。

「藍染め」により繊維は丈夫に、使い込むほどに柔らかく、年月を経て、インディゴブルーで染色されたビンテージジーンズにも似て、色味は落ち着き、味わい深き風合いを増してゆく。百五十年以上の時を経ているにも関わらず、保存状態が比較的に良好なのは、藍の力の賜(タマモノ)か。

幕の右端に奉納された年月「嘉永七甲寅歳 卯月上旬」、左端には奉納した家の屋号(町内にあった米屋の屋号か)「大塚屋、宮越屋」が連名で、力ある達筆も見事に染め抜かれている。




●山王さんの春祭り

氏子が社寺に幟旗(のぼりばた)や幕を奉納するタイミングは、主に祭事の前。「卯月」は陰暦の四月であるから、この幕が陰暦七月七夕の行事である竿燈まつりのために奉納されたものとは考えにくい。

陰暦四月といえばかつて、外町(とまち)の鎮守・八橋の山王さん(日吉八幡神社)の春祭りが この月の「中の申の日」に行われていた。山王さんの春祭りと陰暦八月の秋祭りは、秋田市を代表する絢爛たる祭りであった。

春の本祭りの前日、宵祭りのにぎわいを『六郡祭事記』は、「この夜総氏子より出す所燈籠百千数、城下より矢橋の里に至る道路、社の境内まで昼の如し」とあり、『伊頭園茶話』は、「この夜は夜宮祭りとて殊に賑わしく、市中毎戸灯籠を点し、矢橋綴より本社まで数千の地口灯を建て連ねて、諸処には人形の飾物や押花等ありて参詣群衆す」、さらに本祭りの様子を「四月中ノ日の矢橋山王祭礼三市六街綺羅を飾る。見物の老若貴賤遠近より集まる。山棚屋車煉物(やま・やたい・ねりもの)の類人目を纈す。夜中翌日までくねる」と伝えている。

「山王さんの燈籠祭り」ともいわれた宵祭りの日 、外町の家々の門前の、約1メートルおきに、風鈴が下げられた丸燈籠が掛けられ、地口が描かれた角燈籠も花を添え、夜のとばりが落ちると山吹色のともしびが町々を明るく彩る。翌日の本祭りの日、町内からは曳山が出され、お囃子、手踊りも賑わしく、騎馬を従えた御輿が夜中まで市中をパレードしたという。この春祭りは昭和十年代まで続けられたが、戦争の影響で中止され、今は規模を縮小した秋祭りのみが行われている。

下米町一丁目の稲荷神社で、現在は竿灯まつりの時期に張られる藍染めの幕は、山王さんの春祭りを前にして奉納されたものと想像される。



●米穀と花街の米町

上米町一丁目・同二丁目、下米町一丁目・同二丁目の四町からなる米町四町は、慶長十八年(1613)、土崎湊穀丁から移され、米穀の専売を許された町。

久保田城(千秋公園)に近い東側が上米町、その西側が下米町。四町とも江戸中期から竿燈に出竿しており、その頃から下米町二丁目は料亭と遊郭が並ぶ花街となり、明治初めの度重なる大火で、料亭が川端(川反)四丁目へ、遊郭が南鉄砲町に移転するまでのあいだ繁盛を極めた。

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