二〇世紀ひみつ基地

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桜田淳子が天使だった時代・阿久悠物語

●夢みる天使

昭和47年(1972)7月19日、秋田県民会館を会場に、日テレ系のオーディション番組「スター誕生!」秋田大会の収録が行われた。

当日は約700人の秋田予選を通過した14人が出場、7人ずつ2週分(7月30日・8月8日放送分)を、竿燈や秋田音頭など郷土芸能を織りこんで収録するのだが、スタッフと番組の企画者であり審査員もつとめていた作詞家の阿久悠は、県民会館の客席に座り収録開始を待つ、秋田市新屋に生まれ、西中に在学中のひとりの少女に注目していた。
‥‥前略‥‥
「あのこ、音痴でさえなければ合格させたいね」と、ぼくはプロデューサーに言った。ごくごく普通の中学生たちの緊張のない語らいと書いたが、その通りでありながら、実に見事に背後からの視線を受けとめている少女が一人いて、それが桜田淳子だったのである。彼女は白いベレーをかぶっていた。そして本番で彼女は、けして上手ではないが音痴でもなく、圧倒的に人の目を惹いて合格した。
 そのデビュー曲に、第一印象を伝えようとして書いたのが「天使も夢みる」で、白いエンゼル・ハットで愛らしく世に飛びだす。そして、第三弾で、これまた初会の思い入れそのままに「わたしの青い鳥」というのを書いた。
‥‥中略‥‥

ようこそ ここへ クッククック わたしの青い鳥…

 この時代、まだ、「幸福」とか「夢」とかが、言葉として存在した。青い鳥や天使に仮託する幸福や夢は、実態がないだけに尊さと有り難さがあった。逆にいえば、姿かたちがあってはいけないもので、そのために青い鳥や天使たちを仮のものとして探していたのである。人間は利口で、姿のある幸福や夢がいかがわしいものであることを知っていたのである。
 その頃の幸福は十人十色、一人一人が微妙に色の違う、鳴き声の違う青い鳥を求めていたため、それぞれがそれぞれなりに幸福であった。
 だが、今は幸福や夢は心ではなく形だといい、ハンドバックやブーツが幸福ジルシだと叫んでいる。

阿久悠『歌謡曲の時代 歌もよう人もよう』新潮社 より
同じ年に東京で開催された第4回決勝大会(9月放送)の投票は、客席に陣取るプロダクションのスカウトマンが手にする、社名を記入したプラカードを上げることで獲得の意思を表明するという、人買いのような形式。


「スター誕生!」第4回決勝大会

このとき、彼女に対して番組史上最高の25社(34社説もあり)がプラカードを上げ、最優秀賞を獲得。その後、所属プロダクション(サンミュージック)も決まり、同年10月に上京、デビューを目指してレッスンに励む。


●アイドル誕生

昭和48年(1973)2月25日、「天使も夢みる」(作詞:阿久悠 作曲:中村泰士)でビクターレコードから歌手デビュー。当日は彼女がプロ歌手として始めてステージに上がる「スター誕生!」の放送日(ABS 日曜 AM11:00-11:56)とかさなり、秋田魁新報のラテ欄下には、全五段の新聞広告が掲載され、そのデビューを華々しく告知した。


1973年2月25日 秋田魁新報

右に「秋田県レコード商組合が推薦します。」とあり、その下に県内のレコード店の名前が列記されている。



キャッチフレーズが「そよ風の天使」。番組で視聴者から募集して決まったペットネームは「そよ風ジュンちゃん」。

阿久悠が秋田県民会館で彼女を見たときの印象をそのままに、白い帽子をトレードマークに売り出し、たちまち人気アイドルに。「スター誕生!」から生まれた同世代アイドル、山口百恵・森昌子とともに「花の中三トリオ」と呼ばれる。

彼女が予選のときから被っていた白い帽子を、所属事務所は「エンゼル・ハット」と命名、帽子会社とタイアップし、これもヒット商品となる。

同年5月、セカンドシングル「天使の初恋 」リリース。8月にリリースしたサードシング「わたしの青い鳥」がヒットし、日本レコード大賞最優秀新人賞、日本歌謡大賞放送音楽新人賞を受賞。その後もヒットチャートのベストテン常連に。



二十歳頃からドラマ、映画、舞台にも進出。昭和55年度・文化庁芸術祭賞優秀賞。(ミュージカル「アニーよ銃をとれ」における演技で)。昭和61年度・芸術選奨文部大臣新人賞。昭和62年度・菊田一夫演劇賞(舞台「女坂」の演技で)などを受賞。


●地に落ちた天使


順調な芸能活動を続けていた平成4年(1992)、霊感商法で有名な韓国のカルト教団「統一教会」の合同結婚式に参加することを記者会見で表明。姉夫婦(現在は脱会)の影響で19歳頃から入信していたことを明かす。この数日前には元新体操選手・山崎浩子も同様の会見を開いていた。教団がタレントを広告塔として送った記者会見であった。

それ以後芸能界から姿を消す、いや消さざるを得ない状態に自らを追い込んでしまう。純粋とは罪なものである。当時、こともあろうに……と嘆いたファンも多かったと思う。
‥‥前略‥‥
 君がデビューして間もない頃、中村泰士さんとこんな冗談を言い合ったことがあるのです。
“あの天使も天使でなくなる時が来る”
“人間が天使の顔をしていられるのもほんの短い季節の間だけなのだ”
“しかし、あの娘を堕天使にしようとする奴を見つけたら、二人でいって撲(なぐ)ろうか。それは、宿命や約束事と無関係に、正直な感情だから”
‥‥後略‥‥

1976 『月刊 you』(月刊阿久悠) 第2号
「阿久悠からの手紙・桜田淳子の巻」より
デビュー時から作詞家として支え続け、例の記者会見では複雑な思いを抱いたに違いない阿久悠が、自ら制作するフリーペーパーに掲載した、娘に対する父親のような心情があふれる公開書簡である。この時点で、「撲(なぐ)りに行く」相手がカルト教団になろうとは、夢にも思わなかっただろう。


●TV ドラマ「阿久悠物語」

桜田淳子のため約124曲という多くの詩を残した阿久悠は昨年の夏逝去。氏の一周忌にあたる8月1日、日テレ開局55年記念番組「ヒットメーカー阿久悠物語」が放映される。2008年8月1日、金曜ロードショー特別枠、夜9時3分-11時24分。



監督は新ガメラシリーズを手がけた金子修介。アイドルグループ・℃-ute (キュート)の鈴木愛理が桜田淳子を演じる。

阿久悠が企画と審査員をつとめた「スター誕生!」の立ち上げから、番組から誕生した少女たちが、アイドル黄金時代を築き上げてゆく1970年代にスポットを当て、当時の秘蔵映像を満載したドキュメンタリードラマ。秋田大会の収録を前に行われた秋田予選会のフィルム映像も流れるという。


秋田予選会

予選会の時点ですでにアイドルのオーラを放っていた彼女も今年で50歳。それにしても、よりによって……。

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関連リンク

ヒットメーカー阿久悠物語

金子修介の雑記 "Essay":『ヒットメーカー阿久悠物語』速報PART4
「出場者の中で一人だけ浮き上がって見え、淡い蛍光色に光っている少女がいた」阿久悠

桜田淳子 - Wikipedia

有田芳生の『酔醒漫録』: 桜田淳子の芸能界復帰はない

おすすめ youtube 動画(初期)

akitanosyoujyo _iza_kessenn
旧秋田駅、新屋の風景、「決勝大会」の音声など

「スタ誕!淳子物語」1972~77年トリオ解散まで
「秋田予選会」の秘蔵フイルム、「秋田大会」および「決勝大会」のスナップなど

Sakurada Junko Paper Sleeves Digest Part 1
「天使も夢みる」「わたしの青い鳥」「花物語」他
ファーストシングル「天使も夢みる」の初々しい歌声が良い

桜田淳子 私の青い鳥
プロモーションフイルム

桜田淳子 - わたしの青い鳥/ 十七の夏

レコード大賞受賞式 わたしの青い鳥
母親と朝丘めぐみにはさまれて

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 22:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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