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初夏の風物詩・鹿嶋流し

秋田市祭事記・初夏(二)


勝平得之『鹿嶋流し』昭和十三年

六月から七月はじめにかけて、「鹿嶋流し」、または「鹿嶋送り」と呼ばれる祭りが、秋田県内の各地で行われる。

●新屋の鹿嶋祭り

秋田市新屋地区に伝わる「鹿嶋祭り」はもともと、田植えを終えて田の神を送る「さなぶり」の時期に行われた、五穀豊穣と無病息災を願う行事だったというが、のちに月遅れの「端午の節句」六月五日となり、近年は参加しやすいように、六月の第二日曜日が祭日となった。

祭の前日「宵節句」の夜、子どもらは菖蒲湯で身を清め、自作の鹿嶋人形に笹巻きを供えて祈る。当日の早朝、朝露にぬれた草を裸足で踏み無病息災を願う「露踏み」を行い、朝食のあと、笹巻きを二つ背負わせた鹿嶋人形に、息を三度吹きかけてケガレ(邪気・災厄)を移し、町内の鹿嶋船(舟形の山車)に届ける。ちなみに「露踏み」の行事は、環境の変化もあり現在はすたれている。



鹿嶋人形に笹巻きを背負わせるのが、新屋の鹿嶋祭りの特徴で「笹巻き祭り」ともいわれ、見返しに当世流行のアニメキャラを乗せたりと、現在は子ども中心のお祭り。鹿嶋船のガツギ(マコモ)に挿した五色の流れ旗に書かれた文字は「家内安全」「町内安全」「交通安全」「無病息災」など。



子どもらに曳かれて町内を練り歩いた十九町内の鹿嶋船は、日吉神社でお祓いをうけた後、雄物川にケガレを託した人形を流し、一年の無病息災を願う。昔はガツギ(マコモ)で作った船もろとも流していて、千葉県の「国立歴史民俗博物館」に、湯沢市岩崎地区の鹿嶋様(大型の藁人形)とともに展示されているが、今は人形だけを小型の船や板にのせて流している。人形の一部を流す町内、また一体も流さない町内もある。




●地震除けとしての鹿嶋流し

秋田市内で今も鹿嶋祭りが行われているのは、新屋、川尻、登町(旧御船町)など。古くは大町、本町、上肴町、四十間堀町、八日町、豊嶋町、八橋、明田、牛島、川口、四ツ小屋、仁井田大野など、多くの地域で盛大に行われた秋田の初夏の風物詩であった。

延宝四年(1676)の上肴町の記録によれば、祭りの三、四日前から屋根の上に立てておいた武者人形を舟(山車)に乗せ、その他の練り物(祭礼の山車)とともに、鼓や太鼓を打ち囃しながら土崎湊まで練り歩き、人形を乗せた舟を沖に流す。帰りに寺内で赤飯や酒で祝い町内に帰る。とある。

「地震」などの天災もまた鹿嶋船に乗せて流す災厄のひとつ。菅江真澄の文化八年(1811)の紀行文『軒の山吹』にはつぎのような記述がある。
二十八日 あすは、鹿嶋流しといって、家ごとに餅をつき、例のように、篠の葉に玉のように小餅つけて軒にさしている。家々では人形をつくって、ここかしこに持って行き、御饌を供える。そしてその人形の腰に銭をいくらかつけて、ほかの家に送ってやる。どこでも同じようなことを行っている。こうしてその日になると大船を造り、それに思い思いにつくった武者姿をはじめとして、楫取り・水夫までつくって、船いくさのまねごとをする。だいたい、それを年ごとに流す行事は陸奥にもあるが、きちんと行われるわけではない。これを地震がゆらないための祭というが、考えてみるに、国の守(くにのかみ・佐竹藩主)はむかし、常陸の国からこの出羽の国にこられたので、祖先の国の風俗をまねておこなわれたものであろうか。去年の地震を恐れて、男鹿の浦々はいうまでもなく、どこの村でも「鹿嶋船ながし」といって、笛・太鼓ではやし、神酒に酔って、たいそう賑やかであるが、これが豊かな世の姿であろう。
菅江真澄『軒の山吹』より
「去年の地震」とは文化七年(1810)八月の男鹿大地震のこと、真澄自身、男鹿にいてそれを体験している。このような大地震や天災を期に「鹿嶋流し」が県内に流行し、既存の祭りではその規模が盛大になったようだ。

「地中の大鯰が暴れると地震が起こる」との江戸時代の俗説があり、常陸の国(茨城県)の一の宮・鹿島神宮には「要石」(かなめいし) が大鯰の頭を動かないように抑えているため、この地方には大きな災害がないと伝えられている。古くは鯰ではなく龍が地震を起こすとされ、鹿島大神は地震除けの神としても信仰を集めてきた。


『地震錦絵』より

安政二年(1855)の江戸大地震の直後、地震鯰をモチーフとした「鯰絵」といわれるユーモラスな錦絵が大量に出版される。

この世の災厄(ケガレ)を一身に受け、船に乗せて流される「鹿嶋さん」(鹿島神)という存在について、民俗学者の宮田登はつぎのように考察している。
……人形は災厄がこめられた悪神であり、この悪神を現世の周縁部にあたる鹿島の地へ送りこむという神送りの形式を示している。災厄を送り出す代わりに幸福をもたらしてくれる、そうした境の両義的性格が鹿島信仰の特徴といえる。
『平凡社大百科事典』より
鹿嶋祭りは鹿島信仰を中核に、夏越(なごし)の人形(ひとがた)流し、道祖神・サエの神(村の境に立ち邪気を防ぐ)信仰、端午節句の邪気祓い、さなぶりの神送り、虫送り(作物に付く害虫を村はずれまで送る行事)など、さまざまな風俗・庶民信仰が重層的に習合された興味の尽きない祭事である。

画伯は鹿嶋神社の生き神様・楢山御船町


楢山御船町の鹿嶋祭り


川尻の鹿嶋祭り


旧暦五月は「サの神」の月


諏訪愛宕神社の端午祭


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| - | 2008/06/25 22:35 | |















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