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諏訪愛宕神社の端午祭

秋田市祭事記・初夏(一)

旧暦(陰暦)の五月、田植えから「さなぶり」の時期に行われる秋田の祭りは、人為のおよばない自然現象に左右される農耕に関わる五穀豊穣祈願と、季節の変わり目で病気・災厄が多かったこの時期に行った厄祓いを起源としたものが多い。諏訪愛宕神社の祭礼もそのひとつ。



秋田市保戸野すわ町(旧町名・諏訪町)に鎮座する、その町名の由来となった諏訪愛宕神社。

慶長十五年(1610)、佐竹義宣公が武家の守護神として信州から諏訪大神を勧請(かんじん)、祈願所とした「諏訪神社」は、地区内にあって大正期に焼失した「愛宕神社」と合祀され「諏訪愛宕神社」と改称する。お諏訪さんは、城下の町民から、魔よけ・安産の神として信仰された。


●薙鎌の神符

旧暦の五月五日(今年は六月八日)におこなわれる「端午祭」が近づくと、境内に鯉のぼり・のぼり旗が立てられ、前日の「宵節供」には、神前に笹巻き、邪気を祓う薬草・菖蒲の根をひたした薫り高い菖蒲酒を供え、子どもの立身出世を願う小型の「鯉のぼり」、疫病災難を薙ぎ刈りとるとされる「御鎌」の御守りが頒布される。




勝平得之『民俗版画集・弐』より
ありがたや このかまで
やまいさいなん ねッからかりとる
五月せっくの よいまつりに はんぷされる
保戸野地区はかつて田園が一面に広がる稲作地帯、農家では農具の「鎌」を「薙鎌」として神社に奉納し五穀の豊穣を祈願した。


奉納された鎌

「武家の守護神」とされる以前の諏訪大神の原型は、水や風を司る「農耕の守護神」といわれ、そのシンボルである「薙鎌」の「薙・なぎ」は「凪・なぎ」に通じる。「凪」とは「風が止んで穏やかになる」こと、つまり「薙鎌」には農耕にとって大敵の風害を防ぐ、風鎮めの意味もこめられているようだ。

神社で「御鎌」を頒布する以前は、勝平得之の版画(上記画像)にみられるように、自作の木製の鎌に「奉納 家内安全」と書いた二丁を神社に奉納し、一丁は御札を付けて返してもらい、戸口にまつって厄祓いとした。「宵節供」の夜、五丁目橋から保戸野新橋までの七つの橋を渡って神社に参拝する「七橋渡り」の風習もかつてあった。


●真夜中の神事と笹巻きの説話

旧暦の五月五日の未明、ひそかにとりおこなわれる「端午祭」は、暗闇のなか、本殿鳥居前の仮宮(かりみや)と本殿の間を、神官が御神体を護持して移動させる遷座(せんざ)の神事。これは諏訪大社に伝わる「春の遷座祭」を倣った、山の神を田の神として迎えまつる、豊作祈願に由来する神事と解釈されているという。

諏訪愛宕神社の本殿と仮宮(冒頭画像、手前の建物)の関係は、諏訪大社における上社(男神を祀る)と下社(女神を祀る)に相当するものだ。



神社にこんな伝説がある。……その昔、「笹巻き」が巻けないため離縁された女性が、十日間保戸野諏訪神社に籠(こ)もって巻き方を覚え、ついに復縁することができた。この女性が仮宮の御祭神と伝えられている。

今でこそ、この時期になると市販される「笹巻き」だが、昔はどこの家でもつくったもので、秋田ではそれが巻けないと嫁に行けないといわれ、女の子は幼いころからつくりかたを仕込まれたという。

この「笹巻き伝説」は女子教育の一環として語られた創作であろうが、「女が神社に籠もる」という部分に、田植前の女が身を慎み清めて家に籠もり、早乙女となる準備をする「五月忌み」(さつきいみ) の故事が反映されているように感じられる。


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