二〇世紀ひみつ基地

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ひな祭り・八橋人形

「桃の節句」はもともと春先の農作業を始めるころ、旧暦の三月三日の行事。
今の時期、北国では桃はおろか、まだ雪が降り積もり季節がともなわない。
このような行事だけは旧暦で祝いたいものだ。

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勝平得之「秋田風俗十態・雛うり」昭和十二年

ひな祭りが近づくと、八橋人形の雛売りたちが、街角や店の軒下などを借りて店を出した。鮮やかな赤い布の上には、雛人形のほかに桃太郎や鳩笛など、男の子の玩具も並び、梅と桃の造花も添えられて、道行く人の眼を楽しませた。

八橋人形は、安永から天明(1772~1788)のころに、京都伏見の人形師が、川尻鍋子山(市立病院付近)に窯を開いたのが始めという。

明治期にはかなりの数があった人形店も、戦後には三軒となり、古い店だった高松茂子さんが平成元年に亡くなったあとは、道川トモさん一人だけになった。今のところ後継ぎはいないので、道川さんがやめると八橋人形の伝統も途絶えてしまうのは悲しいことだ。

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道川トモさん作

古い八橋人形は、元となった伏見人形とよく似た、ユーモラスなものが多い。

「八橋人形」江戸末期から明治初期・各種
「八橋人形」明治初期・子抱き童子

いずれも今の八橋人形とはまったく違う味わいのもので、よい作品なのだが八橋らしさがまったくみられない。明治、大正、昭和と年を経て、秋田の風土に染まり、独特の泥臭さの八橋人形が完成したのだろうか。

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