勝平得之「蛇柳夜景」広小路

勝平得之『千秋公園八景・蛇柳夜景』昭和十年
夜空に咲く花火を見上げる人々、穴門の堀の向こうに千秋公園の丘、そのてっぺんに三角の旗がなびいているのは、本丸に掲揚されていた気象予報の旗。昼は旗の色、夜間はサーチライトの色で天気を予報していた。広小路に面した堀端の大きな柳の木が表題の「蛇柳」。
右手の古川堀端町に料理屋のような二階建ての建物。柳の木の向こうに小さく描かれた樹木は鷹匠町の「鷹の松」か。
「蛇柳」が存在したのは、「木内」の向かい、古川堀端町通りへの曲がり角、大正初期から戦後まで「佐々木靴店」のあった場所である。
得之が「蛇柳夜景」を発表した昭和十年、「蛇柳」の姿は建物に隠れて、広小路からは頭頂部しか見えないはずで、「蛇柳夜景」は得之が子どもの頃に見た記憶のなかの風景か、もしくは実景をもとに再配置した架空の風景なのだろう。
周辺は現在、既報のように建物が解体され更地になったため、「蛇柳夜景」とほぼ同じ視点から撮影することがができる。

08.01
左手に古川堀端町通り、右端に千秋公園の丘。
前回の「広小路より古川堀端町通りを望む」に掲載した画像を拡大すると、矢印の下に「蛇柳」らしき樹木がぼんやりと写っている。その右手の平屋建てが「蛇柳夜景」に描かれた二階建ての前身だろう。

矢印の下に「蛇柳」らしき樹木

03.05 中土橋より古川堀反通りを望む
上の画像から約八十年後の同地点。増改築されてはいるが、その位置と特徴的な屋根の形状から、戦後は旅館になっていた正面の建物(現在は更地)が「蛇柳夜景」に描かれた二階建てと同一物件と推定される。
●伝説の蛇柳
『羽陰温故誌』の「蛇柳神社」によれば、・・・広小路の堀端に妖しい小祠があり、祭神は不詳。祈願する者は編笠と七種類の菓子を供えるという。子供の夜泣きにこの笠を借りてきて、頭にかぶせると必ず霊験があり、そのため編笠と穴明き石が多く納められている。・・・と記されている。
大正頃までは随分と遠くから参詣があり、参拝者たちは向かいの「木内商店」に寄るのが常で、木内家ではそんな人たちのために食事などでもてなしたという。
『羽陰温故誌』に記された蛇柳神社は戦後、古川堀端町の「雄柳大龍王尊神社」に合祀される。

蛇柳の祠
かつては「蛇柳」の樹下に鎮座していたという石の祠。屋根の部分に「三つ星に一」の家紋がみえる。
「蛇柳」は久保田城築城に際して、永代の記念として植えられた一本ともいわれ、他にもさまざまな伝説が語られている。
勝平得之の「蛇柳夜景」に描かれた柳は、「蛇柳」にあやかって「柳陀」という俳号を名乗った、「木内商店」の主人・木内隆一氏があとから植えなおしたものらしい。
大きな地図で見る
「蛇柳」跡
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