二〇世紀ひみつ基地

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「すずらん通り」にともる灯は



●すずらん灯の時代

土手長町通りから、旭川に架かる三丁目橋を渡った、通称「すずらん通り」、かつては「三丁目小路」、もしくは「三丁目橋通り」と呼ばれた商店街である。

「すずらん通り」の北に位置する通称「山王大通り」が、旧「二丁目小路」であり、現在の大通りも戦前は「すずらん通り」と同じ道幅の小路であった。

昭和初期、すずらんをイメージした街路灯「すずらん灯」が設置されたことから、三丁目小路が「すずらん通り」と呼ばれるようになったのは戦後のことと思う。


初期「すずらん灯」の一例(京都)

大正末期、京都の商店街に設置された「すずらん灯」をデザインしたのが、関西を中心に活躍した建築家であり、アール・ヌーヴォーを日本に紹介したことでも知られる武田五一(1872-1938)。

武田は祇園祭の山鉾の邪魔にならないように、祭りのときには首を振って折りたたむことがてきる、機能的かつ優美なヌーヴォー調の「すずらん灯」を考案。設置された街灯は好評を博し、その意匠はまたたく間に全国の商店街に波及していく。


静岡市 昭和初期


神戸元町商店街 昭和初期

昭和五年に封切られた映画「神戸行進曲」の主題歌に「雨の元町すずらん燈 ぬれて光ったアスファルト・・・」と歌われた、螺旋模様が眼を惹く元町の街路灯。

●秋田市一の盛り場・すずらん通り


『春宵・スズラン燈の市内三丁目橋通り』昭和十年「秋田魁新報」より
多重露光で街頭の数を増やした芸術写真

飲食店の他に、菓子店、酒屋、洋服店、電気店、レコード店、銭湯などが軒を連ね、戦前には夏になると夜店が並び、直進した突き当たりに、明治期から昭和四十年代末まで、劇場(凱旋座で始まりピカデリー劇場で終わる)があったことも手伝い、人通りの絶えない活気にあふれる商店街であった「すずらん通り」。

「すずらん灯」が設置されて間もない頃の、三丁目小路のにぎわいを文学的に活写した、昭和四年の新聞記事をご覧頂きたい。

一町一景(六)鈴蘭街燈の三丁目橋通り
 秋田市にも盛り場があるかと聞かれたら先づ三丁目橋通りを擧げるに躊躇しない。物産館から秋田劇場前へ通ふあの細い小路を足どり輕く行き交ふ夜の享樂者逹には唯(ただ)わけもなく明るく息づまるばかり雑沓する一種の集團意識がどんなに懷しく思はれることであらう。カフ井ー(カフェー)、蕎麥屋、菓子屋、エハガキ屋、化粧品屋、果物屋等々々に根をおろして生活するものゝ、すべては通りがゝりの銀ブラ連相手のしやうばい(商売)のみである。
 つぶらなスズラン街燈ににポツカリあかりがつく頃にはめまぐるしいテムポをもつてラッシュアワーが訪れる。褄(*つま)をとつて忙しげにお座敷通ひする川端の姐さん、バイブルを手に教會へゆくクリスチャン、もみあげ長きモダンボーイ、スカートをまくしあげて闊歩するフラッパー(*)等々々げにこの街こそは秋田市一の盛り場だ。(後略)
昭和四年「秋田魁新報」

   *褄(つま)をとる=着物の裾の端(褄)を持上げて歩くこと
   *フラッパー(flapper)はすっぱな娘。はねっかえり。おてんば。昭和初期の流行語。

戦時中の鉄鋼不足に影響され、各地の商店街に可憐な明かり灯していた「すずらん灯」のほとんどが、大戦末期までに金属回収のために撤去され街から消えてしまう。


すずらん通り 昭和三十年頃

昭和二十九年に復興完成した「すずらん灯」。



劇場は消え、商店も人通りも少なくなった今もまだ、「すずらん通り」には往年のにぎわいの残り香のような、特有の雰囲気が残っている。


三丁目橋にともる「すずらん灯」

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神戸元町商店街のすずらん灯



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