「中将湯」という銭湯と「バスクリン」

明治三十一年 雑誌広告
広告にはまだ津村のシンボルマーク「中将姫」が使われていない。
ある日、社員の一人が「中将湯」の原料である生薬を刻んで余った、普段は捨てられる残滓を持ち帰り、自宅の風呂に入れてみたところ、温泉のように体が温まり、子どものあせもが消えるという思わぬ効果があった。
その噂はやがて世間に広がり、「分けてほしい」と銭湯の経営者が押しよせるようになったため、津村では商品化を決め、「浴剤中将湯」の名でを発売をはじめる。
「浴剤中将湯」を購入し特約浴場となった銭湯には、「中将湯温泉」と書かれた看板やのれんが配布された。


「浴剤中将湯」を導入した銭湯のなかには、従来の名を捨て「中将湯」と改名する湯も現れるほどの人気で、新規開業する際に「中将湯」と命名する銭湯も少なくはなかった。こうして「浴剤中将湯」の人気は全国に広がっていく。
秋田でもつい最近まで、楢山南中町に「楢山中将湯」、菊谷小路に「中将湯」が存在したが、どちらも廃業して今はない。

大正十三年 新聞広告


秋田県における「中将湯温浴特約浴場」はこの時点で、秋田市「中将湯」、平鹿「松の湯」、横手「鶴の湯」の三軒。秋田市長野下新町(南通の明田地下道寄り、マンション・アークシティのあたり)にあったこの「中将湯」が、秋田で初めて「中将湯」を名乗った銭湯であろう。

昭和二年 新聞広告
通町の佐野薬舗(現・佐野薬局)で販売した家庭用中将湯
浴剤としての「中将湯」の温浴効果は抜群であったが、夏場には温まりすぎるという欠点があった。そのため津村は年間を通して使えるように、生薬から温泉由来成分への転換を図った、日本初の粉末状の芳香浴剤「バスクリン」を昭和五年発売、内風呂のある家庭が少なかったため、これも「中将湯」のように銭湯を中心に販売された。
平成十五年、ツムラの創業百十周年を記念して、「中将姫の湯」が限定販売された。処方は異なるものの、「浴剤中将湯」と同様に、刻んだ100%生薬を不織布に入れた製品で、パッケージには中将姫のマークが印刷された。
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関連リンク
自然と健康を科学する 株式会社ツムラ
ツムラ ライフサイエンス株式会社
中将姫伝説
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