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千秋公園に謎の銅像・明治三十四年

明治三十四年(1901)九月、佐竹家が秋田に遷封されて三百年を迎えるのを記念して、東京から佐竹家当主を招いて、佐竹家遷封三百年祭が盛大に敢行された。祭式が執り行われた会場は、平成十七年(2005)一月、放火により惜しくも焼失した、千秋公園本丸の八幡秋田神社。

まだ秋田神社(藩祖・佐竹義宣を祀る)と八幡神社(佐竹家の氏神)が合祀される前なので、正確にいえば、秋田神社ということになるのだろう。


佐竹家遷封三百年祭式場・明治三十四年

これがそのときに撮影された写真。周囲の樹木はまだ背が低く、後に建立される石碑などもないため、現在とはだいぶ印象が違う。注目すべきは社殿の右手にそびえる銅像のようなもの。かなりの高さの台に、佐竹氏とおぼしき武将が馬に乗った像がすえられている。

20071006093154.jpg

明治期の同神社の写真を複数見ているが、このような像が写ったものは一枚もなく、今まで読んだ文献にも現れていない。となれば当時の新聞を当たるよりなく、図書館に出向きマイクロフイルムを閲覧すると、そのなかに「神社境内には高さ二丈五尺義宣公の銅像形の飾物あり」との記述があった。

二丈五尺をメートルにすると約7.5メートル。「飾物」とあるから、竹や紙などを用いて造られて、祭典が終われば撤去されるハリボテということになる。道理でほかの写真には写っていないわけだ。

式典以外のイベントをみると、手踊り、竿燈、花火、古物展覧会、大弓、柔術、銃剣術、槍術、ベースボール、競馬、自転車競争など、文化芸術から武術、スポーツと多彩なプログラムが組まれている。

それから約百年後、秋田市の建都四百年記念行事が、平成十六年(2004)に行われているが、こちらは、遷封された佐竹義宣公が、土崎の秋田湊城から神明山(千秋公園)に築いた久保田城に移り、都市計画を手がけてから四百年目を記念したもの。

20071006151501.jpg
2004.07.31
建都四百年記念・土崎湊祭曳山
建都四百年記念前夜祭・千秋公園

電線を気にする必要もないため、通常よりもずいぶん高く立派な曳山の登場人物は、佐竹義宣公をはじめとして、船木靱負、沖口屋(船木)助左衛門、中村三左衛門など、土崎に関わりがあり佐竹氏を支えた豪商などの実力者たち。外題は「源氏の嫡流 湊城で正夢 築城建都 祝千秋の杜」。

子供曳山から戻り曳山まで、二日間の祭りを凝縮した構成で、各町内からの参加者がひとつの山車を曳く姿は、通常の祭ではみられないもの。そのほか、北家(角館城主)二十一代当主・佐竹敬久秋田市長の出身地である角舘からは「飾山囃子(おやまばやし)」なども参加、千秋公園は夜までに約七万人の人出でにぎわった。

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