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広小路に「ヤング広場」オープン・1972

昭和47年(1972)7月、秋田市広小路「秋田プラザ」(現・キャッスルズアーケード)二階に「ヤング広場」オープン。前日の秋田魁新報朝刊に全面広告を載せるほどの力の入れようであった。


1972.07 新聞広告
フィーリング豊かなヤングのための新しい情報!!
ヤングプラザ〈ヤング広場〉

プラザ2Fにヤングナショナルテクニクスアキタと秋田で始めてのアメリカンスタイルのメニューを多彩にもったスナックをレイアウトしたユニークな広場〈ヤングプラザ〉誕生!! 君も僕も生演奏に包まれて出演者と一体となって自由に参加できる楽しい広場です。
広告文より


ステージの前に客席、その後ろにアメリカンスタイルスナックのカウンター。広場に隣接してパナソニック系テクニクスのオーディオショップが並ぶ、当時の秋田では最先端をいくスポットだった。

この人フォークシンガー 見てる人ものってるカンジで歌ってる人と一心同体なのです!
★4chステレオコンサートもあるよ!

このステージは誰でも自由に参加できるので~す!
申込先・・・・・

★テクニクス・アキタ
音・光・メカ ヤングのハートがジーンとくるのです。
みんな勝手にどんどんタッチしてもいいので~す。
★22日23日のみパナヤングクラブ入会者にゴキゲンなカラーポスター進呈!!
★来店者に抽せんで記念品進呈!!

★ アメリカンスタイルスナック
秋田初のメニューがいっぱい 味もグンバツです!!
とにかくヤング好みのメニューがワンサカあります!!

テクニクス・アキタはパナソニック系のオーディオショップ
アメリカンスタイルスナックのメニューピザパイ、プラザカツサンド、ハンバーガーサンド、クロームムッシュ等
エクスクラメーション(!)をやたら使ったイラストの解説は、今あらためて読むと、ちょっとイタく、トホホなコピー。


1972.08 新聞広告より


1972.08 新聞広告(部分)



この日の「ヤング広場」は、友川かずき(現・友川カズキ)と昭和精吾というディープな二人が顔を合わせるレアなステージ。

まだレコードデビュー前の友川は、東京での夢破れて八竜に帰省し、「能代唄捨て社」とかいう事務所をつくり地元で唄う一方で、能代一中でバスケのコーチをしていた。このとき友川はコーチとして生涯を送ることを決意して、能代工高バスケの名監督であり恩師である加藤廣志に相談し、紹介されたのが能代一中だった。このコーチ時代の教え子が、能代工高三年時に三冠を達成し、住友金属工業に入社したあとは、オールジャパンの主力選手として活躍、現在はJBL日立サンロッカーズのヘッド・コーチである小野秀二。友川は早くから小野のバスケットセンスを見抜き、徹底して鍛え上げたという。

友川はこの時期、ヤクザになりかけていた親友のことを詩にした「○○ヤクザになんかなるなよ!!」(○○に名前が入る)とサビで叫ぶ曲を唄っていた。その友人がヤクザになったかどうかは知るよしもないが、後日に行われたライブでこの曲をリクエストされて友川は「それはちょっと‥‥」と拒否していた。決してレコード化されることのない、極めて短期間だけのまぼろしの名曲である。

昭和精吾の実家は大館市で満州生まれ、寺山修司の「天井桟敷」に出演する俳優・詩人で、秋田に「奥羽企画」をつくり、フォークの連中とも同じステージにあがり活動していた。このときすでに三十代、自作の詩をギターで弾き語るスタイルの絶唱が忘れ難い。

この二人だけは、ナウなヤングが集まる「ヤング広場」というイメージとは縁遠い、アングラ色の濃い存在だった。


1972.10 新聞広告(部分)

「新しいヤング」ってヘンな言い回しだ。「フレッシュなヤング」というような意味なのだろうが。

この年の10月から「ヤング広場」を会場に、ABSラジオの公開録音が始まる。当初は日曜日午後の収録で番組名は「POP IN」。

広告が掲載された土曜日の午後2時から、山平和彦のバックバンド「マイペース」のライブ。山平は名古屋東海ラジオの深夜放送「ミッドナイト東海」でディスクジョッキーを開始した時期にあたるが、まだ秋田を拠点にして中央と往き来していたと思う。

「マイペース」の音楽センスは当時から、他を圧倒して光るものがあった。しかし、この数年後、山平のプロデュースによる「東京」でレコードデビューを果たし、それが100万枚を越えるミリオンヒットを記録することなど誰にも予想できなかった。

60年代末から70年代初頭は、秋田フォーク界のカリスマ・山平和彦が率いた「あきたおんがくくらぶ」を筆頭に、天井桟敷・昭和精吾の「奥羽企画」、さらには八竜の鬼才・友川かずきなど、個性あふるる表現者たちが顔をそろえてミュージックシーンを創っていた、秋田のポピュラー音楽史にとって記憶すべき時代であり、広小路は「秋田プラザ」内に誕生した「ヤング広場」という存在も、これらのバッククラウンドがあってこその、ひとときの夢のステージであったのだ。

後編につづく

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