エスカレーターガールの時代・木内デパート
昭和三十二年(1957)十月、三十年から始まった「木内」の増築工事完成。新館の目玉が秋田県内で始めて設置されたエスカレータだった。

新聞広告 1957
手前角が戦前に建てられた建物、その東と南に三階建ての店舗が増設されている。増改築工事は昭和三十三年(1958)全面完成、屋上に「お子様遊技場」と「展望台」が新設された。70年代初めにさらに南側に店舗拡張、現在の姿になる。

新聞広告 1957

新聞広告 1957
乗降口には、若いエスカレーターガールが立ち、笑顔と深々としたお辞儀でお客様をお迎えする。
客の安全を守り、誘導するのもエスカレーターガールの大切な仕事。設置当初はエスカレーターに不慣れな客が多く、乗るタイミングが計れずに立ち尽くす老人や、降り際につまずく人が続出し、エスカレーターガールは大忙しだったという。なにしろ当時は一日平均一万人もの客が押し寄せたのだから。
秋田のデパートからエスカレーターガールの姿が消えたのは、70年代後半だったろうか。

木内店内 1957
エスカレーターが新設されて間もないころの二階の様子。おもちゃ売場のあった三階に向かう小学生が写っている。子どもたちにとってエスカレーターはタダで遊べる楽しい遊具であり、一日に何度も乗降をくり返し、エスカレーターガールのお姉さんに叱られることもあったのだろう。
昭和三十八年(1963)八月、「協働社」広小路店(本店)オープン。その店舗には、県内初の上りと下りがあるダブルエントリー・エスカレーターが設置されていた。これに刺激された「木内」も、翌三十九年(1964)下りエスカレーターを新設する。
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乗降口には、若いエスカレーターガールが立ち、笑顔と深々としたお辞儀でお客様をお迎えする。
客の安全を守り、誘導するのもエスカレーターガールの大切な仕事。設置当初はエスカレーターに不慣れな客が多く、乗るタイミングが計れずに立ち尽くす老人や、降り際につまずく人が続出し、エスカレーターガールは大忙しだったという。なにしろ当時は一日平均一万人もの客が押し寄せたのだから。
秋田のデパートからエスカレーターガールの姿が消えたのは、70年代後半だったろうか。

木内店内 1957
エスカレーターが新設されて間もないころの二階の様子。おもちゃ売場のあった三階に向かう小学生が写っている。子どもたちにとってエスカレーターはタダで遊べる楽しい遊具であり、一日に何度も乗降をくり返し、エスカレーターガールのお姉さんに叱られることもあったのだろう。
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| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 22:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑





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