2007.06.12 Tue
関根屋旅館・秋田駅前旅館の時代

関根屋旅館 明治四十年・書籍広告
秋田停車場(駅)開業の前年、明治三十四年に創業した「関根屋旅館」は、秋田市の駅前旅館を代表する旅館で、広告文に「鉄道構内物品販売兼業」とあるように、その初期から旅館業のほかに弁当類を製造し、駅構内で販売していた。
明治四十四年の「旅館要録」には、「開業明治三十四年。和風二階建客間十八。宿料六十銭八十銭一円。兼構内すし雑貨販売」とある。当時は駅弁といえば寿し類だったのだろうか。

関根屋旅館・大正末期
大正十年頃に建てられた「関根屋旅館」の洋風建築。

旅館前にはフォードのタクシーが停車し、かたわらに「富樫自動車営業所」の看板。

関根屋旅館より秋田駅を望む
旅館の玄関の上に設けられたバルコニーからの眺め。駅舎は昭和三十五年まであった先先代のもの。
「関根屋旅館」があったのは、現在の駅前広場。

秋田駅前地図・大正十五年頃
この時代、九軒の旅館が建ち並び、「関根屋旅館」の隣には、県内初のタクシー業「佐々木自動車」の出張所、四軒の運送店などが営業し、ヨーカドーが建設されるまで同じ場所にあった、信太商店、旅人宿信濃屋(後の信濃屋旅館)、天龍製鋸の名もみえる。
「信濃屋旅館」は旅館廃業のあと、「花だんご信濃や」と名を変えて団子屋に転身、ヨーカドーの地下に出店したが、今は広面に移転。

秋田駅前周辺
吉田初三郎「秋田市鳥瞰図」より・昭和初期
中洲のような形状の「関根屋旅館」一帯は、大東亜戦争も終盤を迎えた昭和二十年、建物疎開のため、ことごとく撤去されて更地になってしまう。
終戦後、駅前広場には、青空マーケットやヤミ市が自然発生し、昭和二十三年になると、広場の緑化整備が始まる。
建物が消えて旅館を廃業せざるを得なかった「関根屋旅館」であったが、その後も「関根屋」の名で駅弁の製造販売を続けて今に至り、最近の弁当の掛紙には「秋田駅とともに百余年」の文字が印刷され、その歴史を物語っている。
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駅弁東北[駅弁の小窓]
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