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川岸のポプラ並木に火の見の櫓


通町橋から上流を望む・昭和三十九年頃

通町橋から旭川上流を眺めると、右手川岸にはポプラ並木がつづき、その後方には、秋田市教育委員会、秋田市消防本部など市の関連施設が並んでいた。

ひときわ高く眺めの良い消防の望楼(火の見櫓)は、写真撮影の絶好のポイントで、ここから撮影した外町(とまち)界隈の写真をよく見かける。

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望楼から外町方面を望む

昭和三十年頃に出版された絵葉書から。例のように、この時代のカラー写真印刷は、白黒写真を製版段階で色分解(着色)したものなので色が不自然。

手前から通町橋、一丁目橋、二丁目橋。旭川東岸の土手はすでに消滅し、土手跡の一部に建物が建てられているのがみえる。

右手前に黄色い屋根の高砂堂。道路拡張により、店舗裏の工場の一部が削られ、店舗はセットバック保存された。

高砂堂の上方(南側)には、今も一部が残る旧野口酒造の蔵、さらにその南に、当時は高層ビルだった魁新報社がその威容を誇る。

かつては火事を発見する唯一の手段であった望楼も、電話の普及と高層ビルの増加による視界遮断により、秋田市では、昭和五十一年度を最後に望楼からの監視を廃止。

市役所とその関連施設が山王に移転したあと、消防本部跡地付近には「環境会館」「ホテルハワイ」がオープン。その頃はまだポプラ並木が残っていたが、護岸工事のときに消失した。

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旧「ホテルはくと」

「ホテルハワイ」は「協働社」の手に渡り「ホテルはくと」と名を変え、その後、ふたたびの経営者の入れ替えを経て、現在に至る。

今年七月オープンの「ホテルはくと」新店も、シートが外され、外観があらわになった。

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新「ホテルはくと」


大きな地図で見る
秋田消防署「望楼」跡


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| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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| - | 2007/04/18 11:33 | |

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| - | 2010/10/18 16:06 | |

きょうとさん
東側については「明治以降、徐々に家屋・商店が建ち始めた」と認識しています。それ以前は「浜」と呼ばれた原っぱと藪のなかに、水汲み場・馬の洗い場・ゴミ捨て場・荷揚場などが点在し、建物といえば米蔵か作業小屋くらいだったようですね。那波の水汲み場の上に戦後も残っていた土蔵が、東側でいちばん古い建物といわれていました。

| 川端たぬき | 2010/10/20 12:58 | URL |

川端たぬきさん

丁寧にご回答していただきありがとうございます。

| きょうと | 2010/10/28 11:32 | URL |















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