自転車遠乗会・大島商会主催

明治四十二年・書籍広告より
日章旗が掲げられた秋田市下肴町の煉瓦造商店・大島商会前にずらりと並んだ自転車に、「秋田輪界の一大偉観」のコピー。右端にはカメラのレンズに好奇の眼を向ける子どもたち。
時は明治四十二年六月六日(日曜日)午前六時ごろ、彼ら五十余名はこれから能代までの自転車遠乗り、今で言うところのサイクリングに、いざ出発せんとするところである。
自転車が高価な贅沢品だった時代、まだ若い自転車遠乗会員たちは、医者や役人、商店の若旦那など、新し物好きな人たちであったと想像される。

明治四十二年・書籍広告より
これが広告の下の部分。「自轉車は文明の利器なり 大島商会は文明の大自轉車商也」。
界に空前の偉觀を極はめしは大島商會の主催に成れる自轉車遠乘會にして一隊五十七名の會員は悉く秋田市内外に於ける愛輪家の粹を集め曾て秋田地方裁判所長として嘖々の令名あり今や民間に於ける有力の辯護士にして秋田市會前議長たる長谷川勝太郎閣下之に隊長たり一同車輪を列ね「大島商會主催自轉車遠乘會」と白地に赤く染め拔きたる小旗を飜し東洋第一の製材所たる秋田挽材株式會社を有する能代町に入るや郡町長閣下及三浦縣會議員殿其他同町の有志は叮重なる歡迎を與えられ井坂挽材會社長は特に一行の爲に茶菓酒肴を饗する等盛大を極めたり

魁新報広告
別の日の広告には「途中故障生ずるとも多数の職工を同伴させ手当てするから心配なく」と万全を期して迎えた当日、能代までの行程は、秋田駅八時十四分発の貸切二等車に自転車とともに乗車、五城目駅(現・八郎潟駅)に向かい、五城目駅から自転車で能代を目指す。協賛会員は往復とも汽車を使い、能代町で自転車隊と合流、山本倶楽部にて宴会。午後七時五十六分の最終列車で帰途につき、大島商会に帰り着いたのは午後十時頃であった。
遠乗会の参加申込所は、大島商会のほかに秋田三新聞社とある。当時の秋田市の主要新聞社といえば「秋田魁新報」「秋田時事新聞」「秋田公論」の三社。これらの新聞社も協賛していたようで、遠乗会の当日は記者が汽車で同行し記事を書いている。
翌明治四十三年五月、大島商会主催、第二回自転車遠乗大会開催。目的地は「日本一の小坂鉱山」。十四日の朝出発、十五日夜帰着の二日間、一行百五十余名、自転車隊は七十名の参加と記録されている。
大島商会が自転車の宣伝普及のために開催した遠乗大会は、秋田における本格的サイクリング大会の嚆矢ではないだろうか。
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