秋田生まれで神田の育ち・龍角散
江戸末期、長崎に渡り蘭学を修めた、三代目・藤井正亭治が、藩主・佐竹義堯(よしたか)侯の喘息の持病を治すために、蘭医学の知識を加味して処方を改良。当時の処方成分が、化石動物の骨「竜骨」、インドネシア原産の植物・龍脳樹の樹脂が結晶化したもので御香の原料にもなる「龍脳」、鹿の角を原料とする「鹿角霜」であったことから「龍角散」と命名された。
明治二十七年、正亭治の長男・得三郎がさらなる改良を加え、微粉末状を特徴とする現在の処方を完成させた。

明治三十四年・秋田魁新報
秋田と大曲に藤井得三郎商店直営の支店が置かれている。大曲(現・大仙市)の支店は現在も漢方薬を主に扱う「藤井薬局」として営業を続けているが、その外観は、藤井家の「下がり藤」家紋と龍角散の名前が大きく描かれて、まるで「龍角散」のパッケージのようだ。(2013 追記・現在は改装され、小さな家紋が表示されている)
「藤井薬局」は江戸末期、藤井正亭治の代に創業した由緒ある店、そのため新聞広告でも秋田支店より大曲支店の方が先に記述されているのだ。「龍角散」創始者・玄淵の墓は大仙市の安養寺にある。

大正四年・書籍広告
茶町菊ノ丁、現在の大町二丁目、ニューシティービル裏の小路に、戦前まであった東京藤井支店。

明治四十年・福島民報
掛け軸の上に徳川家の「三ツ葉葵」を龍が取り巻く商標は、藩政時代「龍角散」を将軍家に献上した史実にちなんでのことか。この登録商標、海外では現在も使われている。
「ぜんそく根治薬」「必ず根治全快」「百発百中、立ち所に」など、今の薬事法下では禁止されている誇大表現が、露店に店を構えるテキ屋の口上のようで面白い。「龍角散」で「ぜんそく」の症状が和らぐことがあっても、それが根治するわけがない。
もっとも、テキ屋の起源であるところの「香具師(ヤシ)」は元々、「ガマの油売」のように薬を売る露天商で、テキ屋が祖先と仰ぎ祀る「神農黄帝」は、野山に自生する百草を舐めて医薬を作ったという神。その神と同一の「炎帝神農」を製薬会社が医薬の祖として祀っているのだから、戦前の薬品会社の広告がテキ屋の口上によく似ているのも、至極ごもっともなことではある。
秋田で生まれて東京は神田で育った「龍角散」も、今では日本で消費される四倍の量が海外で流通しているという。
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関連リンク
龍角散:日本ののどを守って200年。
台湾龍角散・日本語サイト
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