二〇世紀ひみつ基地

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闇夜に響く札打ちの音

一月十六日の深夜、寺町周辺のお寺の山門には提灯の火が灯り、鉦(かね)を叩く音、札を打つ音、ふだらく(御詠歌)を唱える声が闇夜に吸い込まれるようにかすかに響く。札所には炭火が置かれ、なかには甘酒なども用意して参拝者を迎える寺も。

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十五番・妙覚寺山門

通称「札打ち」、正式名称「久保田三十三番札所巡礼」は、約三百年の歴史がある行事。当時、西国三十三番札所巡礼が大ブームになったが、一般民衆にとって遠方への旅行は高嶺の花。そこで、久保田近郊の寺院を西国三十三番札所に見立てて巡礼する風習ができた。

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十五番・妙覚寺

亡くなった近親者の戒名を記した木札を三十三枚用意し、十六日未明(正式には十二時出発)、家族や親類がそろって御詠歌を唱えながら、一番札所である泉三嶽根の熊野神社(明治の神仏分離以前は真言宗の寺院)から、三十三番札所・八橋の帰命寺まで巡礼し、寺院の壁に木札を打ちつけ故人の成仏を祈る。亡くなってから三年間つづけて参加するのがきまりという。

壁に直接打ちつけるのは建物が痛むため、今は建物の前に専用の板が設置され、木札が少なくなり、大半が紙の札になった。時代を経て廃寺または廃堂となって消えた札所もあるが、その場合は近隣のお寺が代行している。

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二十一番・普傳寺

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二十一番・普傳寺

普傳寺は消失した十三番・地蔵堂、二十番・東正寺、二十二番・中央院、二十五番・薬師寺を併合。

コースは、泉→手形→楢山→牛島→川口境→旭南→旭北寺町→旭北栄町→保戸野鉄砲町→八橋。

今でこそ自家用車で順番も関係なく巡る例が多いが、二十年ほど前までは、一番から三十三番まで徒歩での巡礼で、先々で長い行列が見られた。

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十七番・善長寺山門

札打ちの参拝者数を魁新報の見出しから拾ってみると、「昭和二十七年・札打ちにザッと六千人 」「昭和二十八年・善男善女約一万」「昭和五十八年・二千人が巡拝」。昭和三十八年には「暴風雪の中を札打ち、善男善女も例年の半数」とあるように天候に大きく左右されたようだ。

最盛期は数万人、戦後になっても多いときは一万人もの巡礼者が、真冬の夜中、そぞろ歩きながら参拝し、それぞれの門前には酒や食べ物の出店も出たというから、その道筋、特に寺町周辺のにぎわいは想像を絶するものがある。

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ロウソクが灯された、十七番・善長寺の六地蔵

行程は天候に左右されるものの約六時間、年配者は十時間もかけて歩き、八橋にたどり着くころにはすっかり夜も明けていたという。厳寒期の苦行にこそ意味があるのだろうが、それは修業であるとともに、楽しいレジャーでもあった。

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二十六番・當福寺

この時期に参加できなかった人、足腰の弱った老人らは、六月ころ、金照寺山の七ツ森周辺に設けられた三十三番観音像を巡って霊をとむらう。

金照寺山のあちこちに点在する石の観音さんが、夏が近づくころ真っ白なお札で埋め尽くされる不思議な光景が、遠い記憶のなかに鮮明に残っている。今は七ツ森周辺は荒れ果てて、三十三番観音を巡る人も少ないのではないだろうか。

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二十七番・鱗勝院

手書きの木札からパソコンで印刷したとおぼしき紙札まで様々。お札の数からして今年の参拝者は五百人ほどか。昨年とうって変わった雪もなくおだやかな札打ちの夜であった。

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