二〇世紀ひみつ基地

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西暦2077年の日時計


秋田市八橋運動公園

八橋運動公園に「小原型精密日時計」が設置されてから約三十年の時が流れ、今ではその存在に気を止める人も少ない。

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この日時計モニュメントは、昭和五十二(1977)年、秋田県時計貴金属眼鏡商組合連合会が、時の記念日の行事として秋田市に寄贈したもので、その年の時の記念日(六月十日)に除幕式が執り行われた。

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日時計の台座部分には、タイムカプセルが収納され永い眠りについている。その中身は、市勢要覧、統計抜粋、広報あきた、都市計画図など市関係の書類。市長、議会議長の写真と名刺、東中、南中、東中の校舎の写真、市街地の航空写真。八橋小学校児童の絵と作文。腕時計、電子計算機、万年筆、ボールペンなど。それらを、500グラムの広口瓶十五本に詰め、松ヤニを主成分とした特殊糊で密閉し台座に納めた。

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設計者は日時計作家の小原銀之助。小原は独学で天文学を駆使した時差表を作成、五分刻みの精密日時計を開発し、「世界でいちばん正確な日時計作家」としてギネスブックにも載った日時計の権威。設置地点は海外も含めて約四百カ所におよぶ。昭和五十八年、八十四歳で逝去。

台座のプレートには、小原の文章が刻まれている。

太陽が人間に「時」を教えた

人間が起きて働いている間も、夜、寝て休んでいる間も時は絶えず流れてやまない。時には形がない。しかし誰にも時がたってゆくことはよく感じられる。

人類は太古の昔にこのとりとめもなく流れる時に区切りをつけた。それが時刻である。時刻をきめるのには正しくくりかえされる何かのよりどころが必要であった。原始人はこれを太陽に求めた。朝、太陽が東の空に顔を出し、夜西の空に沈む。これを一日とし、一日をまたいくつかに分けた。今が何時かというのは太陽の位置でわり出す。そしてつかみどころのない広い広い大空、そこを動いてゆく太陽の位置を、そのつど決定し、時刻をきめる役をするのが日時計である。

地面に棒を立てると、太陽が西へゆくにつれて棒の影も動く。太陽と地球との動きに狂いがない限り棒の影は刻刻正しく動き、正しい時刻を示し、日時計となる。人間は大昔にこの事実を発見し、そして現代においてもこの原理に従った時刻法を世界各国が用いている。日時計は最も原始的でしかも科学的な天文時計である。

この日時計の影はこの地の正しい時間で、すなわち真太陽時であるが、腕時計などの日本標準時にするには時差表グラフを見てください。

精度は五分きざみという世界最高です。日出、日没の方位角、その時刻、またその日の太陽南中高度などの天文現象を表し、非常に正確な八方位に続いて内部の都市山岳岬などの方角も示した。

取付けた地球儀は、太陽の光により地球全体に現れる時刻の移り、朝、昼、夕、夜、北極・南極の白夜の現象など、また地球の自転・公転を知ることにもなり、世界随一の天文学的日時計である。

台座の空洞内にタイム・カプセルが収納されている。

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当時の秋田市長・高田景次による揮毫

人類が滅亡しても太陽が消滅しないかぎり日時計は永遠に時を刻みつづける。

タイムカプセルの開封は、除幕式から三十年後、五十年後、百年後の時の記念日を予定しているという。来年はふたたびこの日時計が脚光をあびることだろう。そして百年後の2077年の時の記念日、そのときこの世界は一体どうなっているのだろうか。

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