二〇世紀ひみつ基地

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お堀から消えた貸ボート

天気の良い放課後には、広小路に面した千秋公園のお堀に、ボートを浮かばせて遊んだ。

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1973.06

日曜日ともなると家族づれで賑わい、また、アベック(もはや死語)の定番デートコースでもあった貸ボートが廃止されたのは、昭和五十五年(1986)というから、もう二十年も前のことになる。

穴門の掘(中土橋から西側)の貸ボートは、戦後間もないころ、民間業者が地権者である佐竹家から営業許可を得て営業を始めた。

貸ボートには一時期、二人乗りの足漕ぎボートもあったが、変り種としては、昭和二十三年(1952)、ラッキーボートと称する水上自転車がお目見え。レンタル料三十分三十円。スクリューと連動したペダルが重くて、漕ぐ人は汗だくだったとか。

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水上自転車

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新聞広告 昭和二十四年(1949)

貸ボート屋が宣伝と人寄せを兼ねて開いたボートレースには、多くの参加者が集まり、広小路と周囲の土手は、見物人で埋めつくされ、大盛況だったという。

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新聞広告 昭和四十三年(1968)

秋田署の裏通り、古川堀反町にあった押切商店経営の「秋田水族館」が、貸ボート屋を兼ねていて、店の奥にボート乗り場があった。


1973.06
後ろが「加賀屋商店」(現・モードスタジオQ)

貸ボートが消えた原因は、当時、大手門の掘(中土橋から東側)に放されていたコブ白鳥のためという。

大手門の掘は蓮が水面に広がり、白鳥にとっては狭いため、穴門の掘に移したいという市の意向があり、佐竹家と業者の間に市が入って数年間の話し合いがもたれた結果、昭和五十五年四月三十日をもって、業者が水利権を返上、貸ボートの廃止が決定される。この時点のボートは三十艘。

ボートと白鳥の共存も検討されたが、白鳥にとってボートは脅威となり無理との結論であった。

ちなみに、その白鳥は、昭和四十四年(1969)、市内の会社経営者が市に購入費八十万円を寄贈し、動物商から十羽買い入れたのが始まりという。

ボートが消えたあとに、穴門の掘の主役となった白鳥は、徐々に数を減らし、いつの間にか姿を消し、モータリゼーションの発展にともない集客力を失った広小路は、人影もまばらな、淋しい街になってしまった。

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1973.06

日曜日の昼下がり、ボートで遊ぶ親子。

お堀の向こう、広小路は買い物客で賑わっている。
「セントラルデパート」から「長崎屋」(現・スタジオパレットビル)のあたり。

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| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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| - | 2007/05/27 01:58 | |















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