二〇世紀ひみつ基地

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東北の南洋・常磐ハワイアンセンター

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常夏の島ハワイが、まだまだ庶民には手の届かない、夢と憧れのパラダイスだった昭和四十年代初頭、白黒テレビジョンからは毎日のように、東北は福島に誕生したバーチャル・ハワイ「常磐ハワイアンセンター」のCMが流れていた。

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激しい太鼓のリズムにのせて腰を振り、フラを踊る腰蓑姿の女性たちの姿に、目がくぎ付けになったものだが、輝く笑顔を振りまくダンサーやそこで働く人たちが、つい最近まで炭鉱労働者と、その家族だったことなど、その時点ではまだ知る由もない。

夏・冬休みが終わった新学期、クラスの誰かが「オラ、ハワイさ行ってきたでェ」と自慢げに語る。それは100%の確率で「常磐ハワイ」なのだが、それでも皆に一目置かれ、つかの間の人気者となるのである。

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新聞広告 秋田魁新報 昭和四十三年(1968)

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テキスト部分

センター付属「常磐音楽舞踊学院」の学院生を募る広告。
六~九か月の育成期間は「月収手取り10.000円」、その後は「月収最低27.500円」という給料は、当時の公務員初任給とほぼ同額で、女性にとっては高給取りに部類する。さらに海外留学のチャンスもあるとなれば、秋田からも入学して、踊子になった女性もいたのではないだろうか。

その「常磐ハワイアンセンター」の黎明期に、炭鉱の娘たちがやがて、一流のフラダンサーに成長するまでの物語が映画化され、今夏上映される。

昭和40年、閉山に追い込まれた炭鉱の町。危機的状況の中、炭鉱で働く人々はツルハシを捨て、北国の村を常夏の楽園に変えようと立ち上がった。村の少女達は腰蓑をつけ、肌も露わに、当時誰も見たことがなかったハワイアンダンス~フラダンスを踊り始めた。彼女達の人生のために、家族のために、そして村のために。

その踊りは一大ムーブメントを巻き起こしてゆく。常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾートハワイアンズ)の誕生を支えた人々の涙と笑いを、癒しのハワイアンミュージックと本格的なダンスで贈る感動娯楽大作。

映画『フラガール』製作発表資料より

巨額の宣伝費を投入してメディアを操っている、ハリウッド映画「ダヴィンチ・コード」なんかに躍らされるより、こちらのほうがはるかに面白そうだ。

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関連リンク

スパリゾートハワイアンズ(旧・常磐ハワイアンセンター)

ハワイアンズポリネシアンショーのルーツ&ヒストリー
常磐ハワイアンセンターが生まれるまで

常磐音楽舞踊学院の歩み

『フラガール』オフィシャルサイト

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