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参詣の小道・蓮住寺小路

秋田市・歴史の小路(二)

旧羽州街道沿いの鉄砲町通りの旧町名は表鉄砲町、その南の南鉄砲町は、明治十九年の俵屋火事以降、下米町から遊廓が移ってきた町で、常盤町とも呼ばれた。北は寺町の続きで、三つの寺院が並ぶ北鉄砲町。


秋田市保戸野鉄砲町付近

元禄十四年(1701)ころ、鉄砲町通りの中ほどに、表鉄砲町から北鉄砲町の蓮住寺門前に抜ける蓮住寺小路がつくられ、多くの参詣者で賑わったという。

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蓮住寺小路

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蓮住寺

文禄四年(1595)の開山という古い歴史を持つ蓮住寺(法華宗)は、元和六年(1620)、二世日持が藩主佐竹義宣侯の腫物を祈祷によりを全快させた功により、寺領五十石を拝領、山号も神力山から薬王山に改め、義宣侯自作の鬼子母神(きしもじん)像を頂戴したと伝えられる。

蓮住寺の境内にある油掛大黒天は、昭和四十五年ころに設置した歴史の浅いものだが、全国に九ヶ所、東北では随一という珍しいもの。

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大黒堂

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油掛大黒天

願を掛けるときは胡麻油を持参し、それが叶ったらお礼の油を供える。周囲の入れ物には油が貯められ、これを小さな柄杓ですくって大黒様の頭にに掛けて参拝する。

境内には、安産・子育ての神である鬼子母神のお堂があるのだが、今から七年ほど前、ここで不可思議な体験をした。

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鬼子母神堂

まだ明るさの残る夕刻、誰もいない静かな境内の一角で、お堂の引戸に対面し中をながめていたら、ガラス戸に写る自分の影の横を、ネンネコを羽織り、赤ん坊をおんぶしたお婆さんが、子どもをあやすように体をゆらしながらゆっくりと通りすぎる姿が映った。すぐにに後ろをふり返ってあたりを見渡したが、どこにも誰もいなかった。

あれは何だったのだろうか。子どもを守る鬼子母神が姿を変えて表れたのか。
あとで思い返せば、ガラスに鮮明に反射したお婆さんは少し前の時代の姿をしていた。

あの瞬間、なにかのはずみで別次元への扉が開き、鏡(ガラス)を媒体として、今ではない、遠い何時かの光景をかいま見たのかもしれない。

去る三月十九日、蓮住寺の本堂と事務所が全焼し、前住職が亡くなられた。明治十九年(1886)の俵屋火事で類焼し、寺宝や古記録を失って以来、二度目の災難ということになる。

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