川反検番と「あげや」の跡

すずらん通りの「さんや食堂」と郷土料理「芝良久」にはさまれた「秋田市料亭会館」一階にあった「あげや」は、1960年代末に開業した市内では珍しい揚物専門店だったが、昨年の六月で店を閉じてしまった。
「あげや」の主人が「レストラン朝日亭」でコックをしていたときに習得したというカツ丼は、醤油ベースの味付けは甘めのカツに、タケノコのスライスとグリーンピースが添えられた、他ではお目にかかれない一品。
「レストラン朝日亭」といえば、かつて川反にその名を轟かせた、あの朝日興産グループが経営していた食堂。「あげや」のカツ丼は、朝日亭の味をそのまま今に伝えた、あの時代を知るものにとってはなつかしき味だったのだ。
三階建ての「秋田市料亭会館」の一室には「検番」があった。
「検番」は芸妓(芸者)と料亭とを取り次ぎ、送迎、花代の精算などをする場所。
昭和二十八年、川反芸妓による花代値上げ騒動が勃発。「秋田検番」に所属していた二十人が、料亭組合に対して花代の値上げを求めるも交渉は決裂に終わる。
花代値上げを要求した芸妓たちは、従来の置屋制度では中間搾取され、働きやすい職場にはならないと「新検番」創設して「秋田検番」から独立した。
昭和三十年代から四十年代には五十人を越え、年間三十億円もの水揚があった川反芸妓も、料亭の消滅、コンパニオンと称する芸の無い素人の登場など、時代の波に押されて減少し、「秋田検番」と「新検番」は、諸経費の節約のために平成四年に合併。事務所は「秋田市料亭会館」の一室があてられた。川反の最盛期であった大正期には三百人近くも居た川反芸妓も、平成四年には十一人になっていた。
川反花柳界の歴史の最後の一コマだった「秋田市料亭会館」の看板も姿を消し、その跡には仙台の風俗情報提供会社が経営する「情報館あきた店」が入居している。

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