「金萬」から「銀萬」新発売!
昭和三十五年(1960)の春三月、秋田駅前の金萬から、開店五周年を記念して「金萬」の姉妹菓子「銀萬」が発売された。ここでいう「開店五周年」とは、店名を「金萬」と改めてから五年目という意味だろう。

「金萬」の初期の商品名は「金万」であったが、この時代は両方の名称が混在している。
美と健康の元・ローヤルゼリーを練り込んで、価格は一個十円。
「金萬」のほうは十五円か二十円だろうか。
三十年代の半ばといえば、ラーメン一杯が四十五円(東京都内)、「金萬」よりも大きくて食べごたえのある大判焼きが十円、秋田駅前、鎌田の「酒まんじゅう」も十円の時代。「銀萬」の登場は、庶民派の大判焼きや「酒まんじゅう」に対抗する意味合いもあったのではないだろうか。
この広告は、昭和天皇の第五皇女・清宮(すがのみや)御成婚記念の集合広告の一部だが、それを記念して発売されたのではなく、たまたまタイミングが合っただけだろう。

写真は当時の実演販売の様子。しかし、その製造機器は「金萬」のものではなく、大判焼きの機械のようにみえる。これが「銀萬」の製造風景だとしたら、それは大判焼きのような大きなものだった可能性もある。だとすれば、広告にもその大きさをアピールするコピーがあってしかるべきだが‥‥‥。
この広告以降「銀萬」の文字は見られないことから、きわめて短期間の販売だったと思われる。
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美と健康の元・ローヤルゼリーを練り込んで、価格は一個十円。
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三十年代の半ばといえば、ラーメン一杯が四十五円(東京都内)、「金萬」よりも大きくて食べごたえのある大判焼きが十円、秋田駅前、鎌田の「酒まんじゅう」も十円の時代。「銀萬」の登場は、庶民派の大判焼きや「酒まんじゅう」に対抗する意味合いもあったのではないだろうか。
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| 昭和・平成ノスタルヂア・秋田 | 18:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑
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