二〇世紀ひみつ基地

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秋田市上肴町・魚市場


上肴町・魚市場 大正末頃

通町と上肴町界隈は秋田市の商業の中心地であった。通町側から今の「仏壇の升谷」のあたりまで魚問屋が両側に並び、店の前面にはアーケードの様に、コミセ(ヒサシ)が設置され、日差しや雨雪を防いでいる。



上肴町の米屋に明治二十八年に生まれ、幼少期を過ごした文化人・鷲尾よし子は、幼いころの記憶を書き残している。

馬から降ろされた大籠(十貫も入る長方形)から、貝焼皿で五匹づゝ計られるブリコハタハタがベロベロすべって藁包に入れられる。
「高げアなァ」
「ふん高げアがら、さらげ(やめれ)男鹿コの初物だでア、サアさらぐが、さらがねが(止めるか止めないか)・・・エエひまづれだでアこのアバ」
と魚売りオドは、あわや鰰をカゴにもどそうとする。
「せエば買ウでア」とアバ
……中略……
大籠のそばには雪の上にゴロゴロと転がされた鰰やサメ、台の上には鮭や鯛ひらめが、グズやチカなどを家来のようにして豪華に並んでいた。そこへ「よれよれ」と大声で馬が来る。魚が降ろされる。売る者買う人、どやどやと右往左往、雪の路上で、「高い」「負けれ」と、けんけんごうごう、時の声を作って騒ぐのだった。
男鹿、土崎方面から、或は新屋方面から海の魚、潟の魚が全部此処に出荷されて食い道楽の秋田市の民の魚は上肴町朝市でさばかれるのである。

雑誌「秋田」(鷲尾よし子主筆)より

「やめる、終わりにする」を意味する「さらぐ」は八郎潟あたりの方言。「グズ」は「グンジ」=「ハゼ」。

鮮魚は男鹿・土崎・新屋方面から馬に積まれて、この町で降ろされた。土崎港からの遠洋もの、汽車や自動車で近海ものなども入り、未明からの卸売りが済めば小売もし、昼前まで賑わった。

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現在の同地点、通町から大町一・二丁目を望む

上肴町は、土崎湊にあった肴町の魚商人が、佐竹氏の時代になって移住した町。土崎は他国からの移住者が多く、生まれ故郷を偲び、出身地名を冠した酒田町、加賀町などという町名が残り、山口屋、丹波、讃岐屋、播磨屋、対馬などの屋号・姓も多い。このような地名を起源にした姓は、土崎だけでも七十種といわれる。

また、織田信長から弾圧された一向宗の信徒が逃亡して、土崎に定住したケースがあり、北陸系の加賀屋、能登屋、越後屋、金沢、越中などの屋号・姓には今も一向宗が多い。

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加賀喜商店
左に通町、向かいが「せきや」

加賀喜商店は安政年間の創業という。木製文字の金網看板は通町拡張以前からのもの。昭和五十年、外旭川に市中央卸売市場ができるまで、十軒ほどの魚問屋が軒を並べ賑やかだった上肴町も、今では加賀喜商店だけになった。


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旧・上肴町

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