二〇世紀ひみつ基地

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明治末期の清酒店・馬口労町


穀物酒類商・伊藤商店 秋田市馬口労町
明治四十五年、顧客に送った年賀状

切妻屋根から突きだした化粧棟木、重厚な破風板、破風下の三段化粧梁が眼を惹く主屋。主屋の前面のコミセでつながる右手の建物は、瓦屋根の倉造りで、隣家との境には防火用の卯建(うだつ)が上がっている。

主屋には大日本麦酒の「サッポロビール」、右手には「銘酒イネマサムネ」の屋根看板。サッポロビールの看板の上には長方形の木彫看板らしきものが提げられている。図柄がはっきりとしないが、亀と瓢箪が描かれているように見える。瓢箪は子孫繁栄・無病息災、亀は長寿のシンボル、一家の繁栄と商売繁盛を願って掲げられたものだろう。

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摂津灘 河東本家鑑醸 銘酒イネマサムネ

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壁には「凱旋サイダー・凱旋オレンジ」「金線サイダー」などの掛看板。大八車には「白鶴」の配達箱。薦樽、味噌樽が積まれた店頭には、店主を始め、家族、使用人らが勢揃い、なかには木馬に乗った子供もいる。右手には人力車が二台、客人を乗せてポーズをとっている。

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灘の銘酒はだかりで地元の酒名が見当たらないのは、当時の秋田は、まだ酒造に関しては発展途上期であり、県産酒の地元での評価は低かっためと思われる。特に一流料亭や旅館では灘酒信仰が強かったという。

店舗の前に店主ならびに家族、使用人らが集合して撮影した写真を元に作製されたこの手の絵葉書は、絵葉書ブームのピークだった明治末から大正期を中心に、宣伝のため各商店で盛んに作成され、年賀状や暑中見舞いとして配られた。葉書の表(宛名面)には「秋田鈴木開運堂製」という絵葉書出版元が印刷されている。

戦前の地図によればこの酒店は、市指定文化財「松倉家住宅」の向かい、現在のヤマザキデイリーストアの地に位置している。コンビニになる前は「両関屋酒店」で、現在も酒をあつかっているので、経営家は明治から変わらないのかも知れない。


2004.09


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外町の南端、馬口労町(馬喰町・馬苦労町とも表記)は、佐竹氏の外町の町割にともない寺内から移した町。

羽州街道と北国街道の分岐点で、陸上交通の要、船着き場には、雄物川を経由して米が運びこまれ、馬の競り市も開かれ、商業、水陸運輸の中心地として活気あふれる場所であった。旅籠町に指定され、馬喰、船頭、百姓町人の旅行者は、もっぱらここに宿泊したため、酒の消費率も高く、造り酒屋、酒店も多く、外町の北端の通町が山の手ならば、馬口労町は下町の風情があったという。

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