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川反に謎の切支丹燈篭

タヌキの慰霊碑がある川反三丁目・秋葉神社境内に、武将茶人・古田織部の創案とされる、織部燈篭、別名・切支丹燈篭がある。

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ステンドグラスが施されたお堂に安置された燈篭に刻まれた子育て観音像は、キリストを抱くマリアにも見えるが……。

保戸野鉄砲町にも同形の灯籠がある。

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北鉄砲町 声体寺境内

墓地の中で場違いのように建つ燈篭には、マントを着けたキリストのようにも見える、長身の地蔵尊が彫られ、燈篭前面を取り巻くように配置された石には、正徳元年(1711)の文字が彫られている。

この燈篭は、松田重雄著『切支丹燈篭の信仰』(恒文社)に名前が載っている(声体寺を青体寺と誤って記録している)ため、その筋では有名な物件で、遠方からの見学者も多いという。

どちらの燈篭も始めからこの場所にあったとは考えにくいが、何時頃どのような経緯で持ち込まれたのか定かではない。

茶の湯の作法は、切支丹の宣教師が行うミサと類似点が多く、織部自身も切支丹だったいう説もある。幕府の弾圧から逃れるために、切支丹たちは茶会という名目で集会を開き、十字架を形どり地蔵観音像や子育て観音に偽装・仮託したキリスト像、またはマリア像を刻んだ燈籠を礼拝した。と、その筋の研究者はいうのだが、織部切支丹説も切支丹燈篭説も、想像の域を出ない仮説であり、その中に一粒の真実が含まれていたとしても、一般の茶人に親しまれた織部燈篭の全てが切支丹と関わりがあるはずもない。伝説としては面白いお話なんだけどね。

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千秋公園 茶室「宣庵」茶室庭園の織部燈篭

上の二点はどちらも棹石部分だけで傘・火袋が失われているが、元々はこんな形であったはず。

これは戦後造られた新しい燈篭。初代藩主・佐竹義宣は千利休の直門であり、古田織部とも親交があったため、ゆかりの織部燈篭を設置したのだろう。

参考リンク
切支丹燈籠について

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