川反情緒・風景を読む

「秋田 川反ノ景」大正期の絵葉書
三丁目橋から四丁目橋方向を撮影したものと推定する。
右手の川反には二階建ての料理屋・芸妓置屋が並び、板と丸太の杭で土留めされた川岸には、「何をくよくよ川反柳」と唄われた、川反のシンボル・柳が枝を垂らし川面に影を落としている。
左手は旭川の堀替のときに出た土砂で造られた、松と桜が植えられた土手が続き、川岸には屋根付きの遊覧ボートらしきものが浮かんでいる。川反の酔客も芸妓を乗せて旭川に船を浮かべ川遊びをしたものだろうか。

料理屋の裏から、川に向かって階段があり、その先に浮かんだ筏に着物姿の女中らしき女性が乗っている。筏は流れないように階段と紐で結ばれているようだ。どうやらこの女性は、魚に麩のようなエサを撒いているようで、川面には波紋が広がっている。
その向こうにも川に降りるための段がいくつか見える。
その昔、旭川は清流で、明治四十年に上水道が通じるまで、その川水は飲用水だったが、水道完成後も、洗濯や洗い物など生活用水として使われたものだろう。

現在の四丁目川反
川の流れは変わらねど、川反情緒は何処へやら
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| 秋田市今昔 | 01:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑
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