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川反にタヌキの慰霊碑


秋葉神社 川反三丁目

明治十九年の大火・俵屋火事のあと、那波家が敷地内に建立した秋葉神社(火伏せの神を祀る)に「無智大明神」という文字が刻まれた石碑がある。

20051114230013.jpg

昭和十六年二月二十三日建立
無智大明神
川反三丁目
願主 成見永助
丁内有志一同

「無智大明神」という聞きなれぬ名を常々不可解に思っていたところ、昨年発行された『秋田市史叢書6「屋敷神・講・祠資料」』に、その由来が以下のように記されていた。

町内で小間物屋を営んでいた成見永助の次女キヨは、結婚して娘が生まれたが産後の肥立ちが悪く回復が長引いていた。思いあぐねた永助夫妻は、エジコ(イタコ)に伺いを立てる。エジコのお告げはつぎのような内容だった。

そのむかし、藩制時代このあたり一帯は薮原でキツネやムジナが住んでいたが、明治の御代になり少しずつ家が建ちはじめたため、キツネもムジナも住む場所がなくなり、そのうちのムジナが産後の娘に宿った。だからムジナの棲むところを作ってやれば、ムジナはそちらに移って娘の病気が治る。

両親は早速町内の人々に相談し、秋葉神社の境内に祠を建て、無智(ムジナ)大明神として碑を建立したところ、霊験あらたか、娘の病状もしだいに正常になり、生まれた孫娘も健やかに育った。エジコから教えられた通りに、頂いた御幣を縁の下に入れておいたが、ある日覗いたら御幣はなくなっていたという。

ムジナはアナグマの異名だが、東北地方ではタヌキ類全般を指す。
秋葉神社の石碑は、その昔、川反に住んでいて住み処を追われたタヌキたちを祀る慰霊碑だったのだ。

秋葉神社境内には、もうひとつ謎の遺物があるのだが、それはまたあとで。

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