二〇世紀ひみつ基地

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松の木に刻まれた戦争

千秋公園に散在する矢羽根形に皮をはがされた松の木、それは子供にとって不思議な存在だった。低学年のとき「昔のサムライがこれを弓矢の的にしたんだ」と推理し、そのことを父親に話すと、あれは戦争中にショウコンユを採った跡だと教えてくれた。

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千秋公園・長坂
ケロイド状にふちどられた傷跡が痛々しい

大東亜戦争末期、南方の占領地からの石油輸送が困難になると、時の政府はオクタン価が高く航空機の燃料として最適だった松根油の増産に乗りだす。昭和十九年十月、農商務省が「松根油緊急増産対策」を発表、翌二十年三月の閣議決定を経て、国を挙げての「松根油緊急増産運動」が展開された。全国各地の松の木から松根油を生産するために、老人、女学生、子供らが勤労奉仕として大量動員された。

ゴムの木から乳液を採取する要領で、幹に小刀でV字形の切り込みを入れ、空缶や竹筒をぶら下げ、翌日に溜まった松脂(まつやに)を集める。前日の切り口の少し上に、またV字を切り込む。これを繰返し、石油缶いっぱいになった松脂は工場に運ばれ精製された。この他、一般的な方法として古い松の根を掘りだし、釜で蒸し焼きにして油を取る方法もある。

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千秋公園・長坂
V字の傷がまゆ毛と眼、顔のような傷跡

以前は何重にも付けられたV字の傷はクッキリと、松脂がしたたる松が多かったが、永い歳月を経て、表皮の傷口は丸みを帯びて収縮し、ほとんど傷跡が消えているものもある。

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千秋公園・本丸
左手の松はほとんど傷跡がふさがっている

当初は年間40万キロリットルを生産する計画だったが、製油所の多くが爆撃されたこともあり、最終的に精製された量はわずかで、実際に松根油を使って飛行した公式の記録は残されていない。

赤松のまだ傷癒えぬ終戦日


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