さようなら「ブックスささき」平和通りの「ヤマサストア」
▲ブックスささき 2020.11
秋田駅ビル「トピコ 」2階の書店「ブックスささき」が、 令和2(2020)年10月14日をもって閉店。創業から数えて70余年の老舗であった。
「ブックスささき」跡地には、隣の「ジュピター」(コーヒー豆・輸入食品他) がスペースを広げ、この(2020)12月3日リニューアルオープン。
▲ジュピター 秋田トピコ店(ブックスささき跡) 2020.12
「ブックスささき」の前身は秋田駅前「平和通り」で、玩具と雑誌を扱っていた「ヤマサストア」。
昭和23(1948)年、創業者の佐々木常蔵氏は秋田駅前に完成したばかりの商店街「平和通り」に「ヤマサ商会」を創業。
その時代の広告がこちら。当初は「石油ランプ」などの生活用品を売っていたようだ。
▲昭和23(1948)年 新聞広告
戦時中から戦後にかけて、石油ランプが売れ筋商品となる。
電気が通じる以前の遺物的な照明装置である石油ランプが、この時代になぜ売れるようになったかというと、戦時下そして終戦から数えて3年ほどのあいだは、曜日を定めて電気を止める計画停電や突然の停電が多く、電圧も不安定だったため、かつて生活必需品であった石油ランプが復活することに。
石油ランプの欠点は、ガラス製のホヤ(火屋)の内側がすぐに黒く煤けて輝度が低下すること。そのため本体から取り外したホヤを布きれで磨くことが日課になる。ホヤの口径は小さく、大人の手では入らないため、小さな手の子供がその仕事を任された。その作業中にガラスを割ってしまうことも多く、交換用のホヤも販売されていた。
ちなみに今は煤と匂いを抑えたランプ用オイルが使われている。
戦中・戦後の計画停電といえば、理髪店の定休日が月曜日になったのは、月曜日が計画停電日だったためだとか。
「ヤマサ商会」は間もなく「ヤマサストア」と名を改め、玩具・雑誌・お土産品を販売するようになる。
▲昭和29(1954)年 新聞広告
昭和29(1954)年、佐々木氏は秋田駅前の久保田町に、子供用乗り物専門店「フタバヤ」を創業。
▲昭和29(1954)年 新聞広告
▲昭和33(1958)年 平和通り
秋田県内初の全蓋式アーケードとされる、商店街をすっぽりと覆うアーケードが完成して間もない「平和通り」の、正面・北角の「ヤマサストア」店頭に浮き輪がぶら下がっている。
昭和36(1961)年、 鉄筋コンクリート2階建ての「秋田民衆駅」が誕生すると、駅舎に併設された「秋田ステーションデパート」2階に「ヤマサ玩具」と「ヤマサ雑誌コーナー」を出店。この小さな雑誌コーナーがのちに「ブックスささき」となる。
民衆駅(みんしゅうえき)とは、駅舎の建設を日本国有鉄道(国鉄)と地元が共同で行い、その代わりに商業施設を設けた駅である。
民衆駅 - Wikiwand
▲昭和56(1981)年頃「秋田ステーションデパート」内「ヤマサ玩具」
「ヤマサ玩具」の奥に模型・プラモデル・教材の「伊藤教材店」。同フロアには秋田駅前「金座街」で営業していた「おもちゃのミウラ」も出店していた。
秋田駅前の商店街、平和通り・銀座通り・末広町界隈の跡地に、昭和55(1980)年「イトーヨーカドー秋田店」を核テナントとする「秋田ショッピングセンター」が完成。地権者である「ヤマサストア」はその5階に「ブックスささき」を出店。
平成22(2010)年10月「イトーヨーカドー秋田店」撤退にともなう改装工事のための全館休業を前にして「秋田ショッピングセンター」内の「ブックスささき」は店を閉じる。
施設名を「フォンテAKITA」と変えてリニューアルしたビルの、かつて「ブックスささき」があった5階フロアには、香川県高松市に本店がある全国チェーン店「宮脇書店 」が営業している。
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