二〇世紀ひみつ基地

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秋田市通町・青物市場

羽州街道筋にあり、城下と近郊農村を結ぶ商業のメインストリートであった通町は、早い時期から自然発生的に市が開かれていたというが、文久四年(1864)、上通町、中通町、大工町の三町(現在の通町)が朝市の家督を認められ、名実ともに市の街となって以来、連日、青物市場が開かれ賑わっていた。

未明から正午まで、近郊の農家や土崎湊から、野菜・果物・薪・柴などが集まり、路上にムシロを広げて商いをする。雨の日や冬期は、商店の軒下の土間(コミセ)を借りて雨風をしのいだ。

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FAMOUS PLACES AKITA 秋田市通町市場
大正末ころの絵葉書

撮影場所は佐野薬局前、頬被りのおばちゃんたちは今日の商いを終え後片づけ中のようだ。ということは正午近く。

「FAMOUS PLACES AKITA」は「秋田名所」の意訳。戦前の風景絵葉書のタイトルは「○○名所」と冠するのが慣例だった。「○○名所」という呼び方は、江戸時代の挿絵・浮世絵に始まり、明治の錦絵へと続いた伝統で、日本では明治後期に誕生した絵葉書もまた、錦絵の流れを継ぐビジュアルメディアといえる。

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中央部拡大

歩道と車道の区別などない通りを闊歩するカンカン帽に前掛け姿の男。その後ろに、高学年ほどの女の子三人が、風呂敷包みを手に顔を見合わせ語らいながら歩いている。

通町の突当りの新大工町(保戸野鉄砲町)には電気軌道株式会社の建物がかすかに見える。ここには秋田市と土崎(この当時はまだ秋田市に編入されてない)を結ぶ路面電車の乗り場があった。そのため通町は停留所前のメインストリートとして、土崎方面からの客も集め、多いに賑わうことになる。

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佐野薬局前

木製車輪の大八車には、木箱や大きな籠が載せられている。まだ日の昇らないうちから昨日採った野菜を大八車に載せ、舗装もされていない長距離の道を曳いてくるのは相当の重労働だったはず。日本でリヤカーが誕生したのが大正十年ころ、それが地方まで普及するのは大正末から昭和初期ではなかったろうか。

商店の前をこんなにも占拠してしまう市は、商売の邪魔だったのではないかと心配になるが、それが杞憂であることを、昭和五十七年、佐野薬局の九十歳になるおばあさんが証言している。

……前略……
家の前は、在郷のおがあちゃん方の市場でした。朝五時ころからムシロ敷いて物売りに来たもんです。太平とか仁井田とかから野菜売りに来るわけ。朝まに「おがはん、今日もお世話になるよ」なんて、毎日のことだから親しくなって、「はい、おばあちゃん、これあがってけれ」と、昔は青物なんてお金出して買ったことはなかった。
……後略……
聞きとり・昭和57年9月21日
『秋田県婦人生活記録史』より

農家のおばちゃんたちと、通町の商店がうまく共存していた当時の様子がうかがえる、ほほ笑ましいお話だ。市が立つことによって街は賑わい、商店もまた相乗効果で繁盛したことだろう。

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左手看板拡大

佐野薬局の向いには、道路が拡張された現在と同様に富樫電気商会。その奥が近江屋楽器店。電柱には中山太陽堂の「カテイ石鹸」の看板。

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現在の同地点

右に佐野薬局、左の「大町商屋館」にトガシ電気が入居している。
往時の面影をわずかにとどめるのは、佐野薬局の屋根看板だけ。

秋田市上肴町・魚市場



光と闇を結ぶ「通町橋」



通町橋から秋田市役所を望む

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