1971 秋田にGパンの「アメリカ屋」オープン
70年代秋田のジーンズ・ブーム(1)
1960年代終盤から始まったジーンズ・ブームの波が地方都市まで到達した70年代初頭、秋田にもジーンズ専門店が続々と誕生。その先陣を切ったのが「アメリカ屋」であった。
ヤングにモテモテ「Gパン」
手軽でカッコよい
専門店もグンと増加
若者の遊び着としておなじみのジーパンが、県内でも大流行している。「とにかく売れて。売れて」というわけで、秋田市を中心に「ジーンズ・専門店」の看板をかかげる店や「Gパン・コーナー」を設ける店が急増、業者にとってはまさにヤングさまさま。業者らによれば全国的にジーンズの第二次ブーム、本県ではワンテンポ遅れ第一次ブームの到来だという。
ジーパン流行の最初は昭和三十八年。米軍放出の中古品が、若者の間で爆発的な人気を呼び、全国に流行した。ただし、品数が限られていたほか「秋田の若者には合わなかったらしく」(業者)本県ではあまり流行しなかったとか。
しかしここ一、二年の間に再びブームが到来、県内の若者の間でもジーンズ愛好者がふえたという。二年前に専門店を開いた秋田市の“老舗”によると「最初はたいして売れなかったが、昨年夏からめちゃくちゃに売れ出した。テレビドラマやCMに登場する若者の服装や、ヤング向け週刊誌の“あおりたて”のおかげですかね」
昨年からGパン・コーナーを設けた同市のデパートも「毎日平均四十本は売れますし、ヤング向けの主力商品となりました。高校生なら一人三本は確実に持ってますよ。多い人なら七、八本はあるでしょう。第一高くても三千円どまり。手軽に買えるし長持ちはするし・・・・・・」という。
こうしたブームにあやかってか昨年暮れから秋田、大曲、大館、能代、鹿角など県内各市で続々、ジーンズ専門店が店開き。秋田市ではここ半年の間に専門店、専門コーナー合わせて十一もの“ジーパン業”が誕生した。
特に専門店となると名の通った十種類近いメーカー品のほかジャンパー、チョッキ、ベルトの三つぞろい。同じ生地(デニム)を使った帽子、バック、ブックカバー、ライターケース、サイフ、貯金箱のはてまで“完備”。ジーパンも「二歳半の幼児から身長二メートル、体重二百キロの巨人用・カラーも十種類まで取りそろえてある。
店主のAさん(二七)によると急増の秘密は「安いし、資本がいらない。背広など普通の衣料品より利幅は少ないが、若い人相手なので売り掛けもない。職人さえ置いとけばその場で手直ししてすぐにはいて帰れるし・・・・・・、とにかく確実に売れますからねえ。これ以上店が増えるとちょっと心配です」
‥‥後略‥‥
昭和48(1973)年8月11日付『秋田魁新報』より
記事にある「二年前に専門店を開いた秋田市の“老舗”」とは、中通四丁目にかつて存在した「アメリカ屋」のこと。
「アメリカ屋」といえば仙台に本社を置き、東北・北海道に展開するジーンズ・ショップを連想するだろうが、70年代はまだ、その「アメリカ屋」は「斎藤商店」(1950年創業) の名で営業しており、秋田に創業した「アメリカ屋」とは直接的な関係はないと思う。
ちなみに、台東区上野のアメ横でジーンズやアメカジを取り扱う「アメリカ屋」の創業は昭和27(1952)年。当初は米軍放出の中古ジーンズなどを販売していた。
「Gパン」という日本独自の呼称については、進駐軍兵士が普段着にジーンズを着用していたことから、米兵の俗称である「GI」から「GIパンツ」と呼ばれるようになり、それが転じて「Gパン」となったといわれ、また「ジーニング・パンツ」の略という説もある。
昭和46(1971)年9月、「秋田予備校」に近い秋田市中通四丁目(旧・中谷地町)に、ジーンズ専門店「アメリカ屋」開業。
↑ 昭和46(1971)年11月 新聞広告
冬物半額セール
Gパンお買いあげの方に
3千円のポスター贈る
若者の合言葉をご存じですか。街角での会話はすべて「アメリカ屋」のジーンズファッションのことです。
それはなぜか・・・ジーンズに関するすべてがそろっているからです。
だからこそオシャレは「アメリカ屋」のジーンズから始まるのです。
ほんの一例を紹介してみます。まずアンアン、ノンノンなどですでに紹介されている。サロペット、ダンガリーシャツ、それにバギーパンツ、カラフルな春着など、また今年の流行品ブリーチ(脱色)ジャンパー、パンツも豊富に取りそろえてお待ちいたしております。サイズも子供用は三歳から、大人用はウエスト一メートル八十センチまでどんな種類もあります。
さて「アメリカ屋」本店(秋田市中通四丁目、読売ホール裏)を初め秋田市手形入口に新設した駅前店、大館市日敷前の大館店、大曲市消防署前の大曲店では十二日から十七日までGパンのすべてを値上げ前の旧価格で販売することにしました。これは日ごろみなさまのご愛顧に感謝して「アメリカ屋」が特別奉仕するものです。若者のみなさん、ぜひこの機会を見逃さず、友だちをおさそい合わせのうえご来店ください。きっとご満足いただけることと思います。また、「アメリカ屋」ではGパン一本お買いあげの方に三千円の大型ポスターを差し上げます。
‥‥中略‥‥
ところで「アメリカ屋」各店では丈詰めなど三分間で手直しできるよう三台の電機工業ミシンがフル回転してサービスしています。したがってお買いあげと同時にはいて帰れるし、また、修理も二年間無料であるのも魅力の一つとなっています。
値段は旧価で、品質は高級舶来品。さあ、君もあなたも、キングサイズの人も、先ず、「アメリカ屋」のGパンをはいて街を歩きましょう。
昭和49(1974)年2月12日付『秋田魁新報』広告記事より
ジーンズ専門店の特徴は品揃えの豊富さと、買って数分後に裾上げができ、その場で履いて帰ることもできたところ。
広告記事のように「アメリカ屋」本店では、三台のミシンを駆使して迅速な対応をしていて、忙しいときはまだ若い店主も「昔取った杵柄」とか言いながらミシンをかけていた。
洋服店やデパートでズボンの裾上げを依頼すると、数時間後はまだしも、数日間も待たされることも珍しくはなかった時代、ジーンズ専門店のサービスは画期的なものであった。
↑ 昭和48(1973)年1月 新聞広告
↑ 昭和49(1974)12月 新聞広告
「アメリカ屋」のシンボル・イラストを、当時のクラフト紙袋風に再現。
旧時代のジーンズを象徴するカウボーイと、新世代のヤング・カルチャーを象徴するヒッピーが、時代を超えて肩をならべて唄っている。
ヒッピーのズボンは当時流行のベルボトム。膝から裾にかけてフレアするシルエットがベル(鐘)の形状に似ることから命名された。
↑ Isle of Wight Festival 1969
1969(昭和44)年、野外ロックフェス「ワイト島音楽祭」で撮影されたヒッピーのカップル。
イングランド南岸・ワイト島に開催されたフェスには、ボブ・ディラン、バンド、リッチー・ヘヴンス、トム・パクストン等が出演、3日間で15万人の観客を集めた。
70年代に放映された、ジーンズの老舗 Levi’s のサイケデリックなテレビCM。
昭和51(1976)年の「アメリカ屋」店舗をあげると、秋田市内に中通本店、駅前店、有楽町店のほか、大曲店、大館店、本荘店の計6店。
秋田のジーンズ・ブームのパイオニアであった「アメリカ屋」が店を畳んだのは、80年代後半のことと思われる。
「アメリカ屋」跡
かつて「アメリカ屋」が存在した場所は「歩兵十七連隊」の西端に位置し、その東隣に「歩兵十七第連隊跡」の碑、北向かいの児童公園(佐竹家臣・大和田祥胤家跡)には国学者「平田篤胤誕生地の碑」がある。
70年代「アメリカ屋」と「秋田予備校」のあいだで「おばこ食堂」が営業していた。
「アメリカ屋」跡
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